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寺本衛

Mamoru TERAMOTO
辞書出版部次長(2020年8月時)
  • 1968年

    北海道室蘭市生まれ

  • 1992年

    東京外国語大学外国語学部スペイン語学科卒業

  • 1992年

    株式会社三省堂入社

『グランドセンチュリー英和辞典』、『エースクラウン英和辞典』などの英和辞典を中心に、『三省堂英語イディオム・句動詞大辞典』、『詳説英語イディオム由来辞典』などの特殊辞典や、スペイン語、ポルトガル語、マレー語など多数の外国語の辞書編纂に携わる。

『グランドセンチュリー英和辞典』、『エースクラウン英和辞典』などの英和辞典を中心に、『三省堂英語イディオム・句動詞大辞典』、『詳説英語イディオム由来辞典』などの特殊辞典や、スペイン語、ポルトガル語、マレー語など多数の外国語の辞書編纂に携わる。

  • 1968

    北海道室蘭市生まれ

  • 1992

    東京外国語大学外国語学部スペイン語学科卒業

  • 1992

    株式会社三省堂入社

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Interview

インタビュー

2020.08.14 実施

  • 01.-

    辞書編集者になるまで

    寺本さんはどのようにして辞書編纂者になったのですか。

    アンサーアイコン

    大学年次までに、一種の消去法で編集者か新聞記者になりたいと考えていました。(東京外国語大学外国語学部スペイン語学科)清水透先生のゼミで中南米の地域研究をしていたのと、92年がコロンブスのアメリカ到達500年で関連書のラッシュもあって、ジャーナリズムに強い関心を持つようになり社会性のある題材を扱う単行本の編集がしたいと思っていました。辞書の編集にはまったく興味がありませんでした。就職活動では、最初に決まった会社に入ろうと決めていたので、一番に内定をもらった三省堂に決めました。辞書に思い入れがあるとか、辞書が好きというわけではありませんでした。三省堂の辞書も一冊も持っていませんでした。研究社の『英和中辞典』が一世を風靡していた時代です。 

     

    三省堂には編集で入社試験に合格していたのですが、入社の1週間前に総務部から電話がかかってきて、「君は声が大きくて元気もいいから、営業を経験してみないか。」ということで学校営業からスタートしました。東京支社に配属になり、荒川区・板橋区・豊島区の中学校を担当しました。教科書を採択してもらうために精力的に学校を訪問して、教育現場の先生方と教科書の話はもちろん、キング牧師とブラックパワーの話や、先生方のご苦労についても様々な話を伺いました。24年間他社の教科書を採択していた板橋区から英語の採択を奪取した時は嬉しかったです。春の教科書の採択戦が終わると、秋には教科書に合わせた辞書の採択戦が始まります。年季の入ったカローラのマニュアル車を乗り回して(笑)高校を回りまくりました。その後、93年に本来の配属先であった辞書部に籍を置くようになりました。辞書編集者としては、当時三省堂が大塚に所有していた仕事部屋に出向いて、御茶ノ水大学名誉教授の故・木原研三先生の原稿や点検済みゲラが上がるのを待つのが最初の仕事でした。『新グローバル英和辞典』(1994)です。Eメールがまだ普及しておらず原稿袋を後生大事に抱えていた時代です。それから外国語の辞書編纂をして27年になります。 

    東京外大ご出身ですから、英語が得意なのは想像がつきますが、ご専門はスペイン語でした。なぜ英語辞書のご担当になったのでしょうか。

    アンサーアイコン

    英語が特別得意であったとは認識していなかったのですが、大学在学中に教職課程をほぼ履修したので英語教育の基礎的な知識を身につけることができたのかと思います。恥ずかしながら在学中にアルバイトや海外旅行に夢中になっていて年生を回やっています(笑)。それで年余裕ができたことと、高校時代の恩師が「寺本君は絶対にいい教師になるから筑波へいけ」と言われていたこともあり、教員免許を取ってみようかと。そこで故・若林俊輔先生の授業に出会い非常に強い刺激を受けて、英語教授法や教育理論、言語学、英米文学などの関連書を懸命に読み込んだことが大きかったと思います。若林先生の授業は非常に厳しくて単位を簡単にくれないので有名でした。教育実習に行く準備も進めていたのですが、実習期間と各出版社・新聞社の入社試験の時期が重なり、結局教員免許は諦めることになりましたしかしそれが三省堂の入社試験で生きたという不思議な巡り会わせです。 

     

    また、振り返ると環境に恵まれていたとは思います。親に感謝です。大きな書店がない北海道の地方都市・室蘭で、参考書類はあったものの大学二次試験などに必要な人文書を置いている店はあまりなかった。これからは英語ができないとダメだと聞いてきた親に小学校年生の後半から英語塾に通わされました。人の少人数で先生がかなり厳しくて有名であまりに勉強してこない子はクビになるような塾でした。毎回かならず誰かが泣くくらいのスパルタ式で。サッカーも小から高の夏までそこそこ本気でやっていましたので勉強は大変でした。塾に行き始めた頃店頭であれこれ比べて生意気にも『プログレッシブ英和中辞典』の初版(1980)を買って使っていました。辞書のことは何も分かっておらず、語数が多いほうが何でも載っていていいだろうという単純な発想です。それが初めて自分で買った辞書で大学入学後もずっと使用していました。今も編集部に置いてあります。恥ずかしながらけっこう綺麗な状態です(笑)。もともと辞書を引くのは嫌いで、なるべく引かないですむように和訳を我流に考えて作っていました。辞書を引くとつい関係のない行も読んでしまって、本来の課題がまったく進まなかったからです。 

     

    それと、なぜ英語辞書の担当になったかといいますと、当時まだ三省堂ではスペイン語の辞書がでていなかった(『クラウン西和辞典』(2005)が初)のとやはり英語辞書が桁違いに売上額が大きかったからです。辞書に興味ないといって入社しましたが、他社との競争に負けたくないのと、営業時代にえた現場感覚を辞書で実現させようとしているうちに、辞書の奥深さに気づき面白くなってしまったからです。 

  • 02.-

    辞書編集者の仕事

    辞書編集者になってからのお仕事について教えてください。

    アンサーアイコン

    初めて担当した辞書は、『ニューセンチュリー英和辞典』第版(1996です。西野宮魔木部長、野村良平編集長(当時)のもと、中嶋孝雄さんというベテランに編集者の仕事を一から学びました。この間には先ほど述べた『新グローバル英和』や『ヴィスタ英和辞典』(1997)、『デイリーコンサイス英和辞典』第版(1997)なども手伝いました。『ウィズダム英和辞典』(2003)の契機となった社内のコーパス・プロジェクトにも参画しました。そしてその仕事量の多さに驚きました。何年やっていても全体像がなかなか見えないのです。辞書編集者の主な仕事は、編集会議設営、レジュメや議事録作成、サンプル原稿の執筆原稿依頼や返ってきた原稿の整理校正挿絵や写真使用の権利取得などです。また、辞書は一般的な書籍と比べて、ゲラの量が格段に多く、ゲラをやり取りする期間が長いのが特徴です。私たちは「ゲラ地獄」と呼んでいますが(笑)、来る日も来る日も何か月にもわたってゲラを読み続けます。少なくとも10時から定時過ぎ、場合によっては夜1011時までひたすらゲラを読みます。最近はデジタル・データ上で正確性を高めてからゲラを出すので、昔の人海戦術に比べればかなり改善され楽になりました。初校では誤りの傾向を見極めて重点チェック・リストを作成します。再校ではチェック・リストに従って誤りが修正されているかどうかを一括して確認し、再校から差し込んだ例えばコラムなどの新情報が適正に反映されているかチェックもします。最低でも2年に度程度ゲラ地獄はやってきますが、仕事の山場であるこの期間はプライベートも含め他に何もできません。 

     

    三校に入り、最終段階になるとゲラ読みの他に装丁をどうするのか、デザイナーはコンペにするのか指名でいくのか、帯の文言について営業はどのような切り口でいきたいのか、販売キャンペーンはどうするのか、自社HPの当該辞書ページの内容作成といった辞書の中身以外の仕事で忙しくなります。営業部や宣伝部との連携が重要です。最終段階で業務量があまりに多く手が回らなくなると、他の編集者に助っ人をお願いしたりもします。そして四校で最終点検をして責了、校了と続き、最後の最後にプルーフがでます。昔は青焼き、藍焼き、BPBlue Print)などと呼んでいました。これを点検して戻せば完了で、製本されていない「刷り出し」を待つのですが、やり残しがあるのではないかとか誤植を見逃しているのではないかとかもっとも緊張する期間です 

     

    一方、私が先輩辞書編集者と違ったのは、営業経験を辞書編纂に反映させたことでしょうか数年で大改訂される教科書で用いられている単語に対し、当時の英和辞典はあまり注意が払われておらず、結果として、教科書で使われている語句が辞書に収録されていないということがままありました。これは現場の先生方にとっては重要なことだと現場を回って気づきました。教科書編集部の先輩は「教科書なんて4年で変わるんだからいちいち単語を拾わなくていいよ」と言っていましたがやはり生徒さんが毎日使う教科書にでてくる単語が辞書に載っていないのはまずいということで、あらゆる伝手を頼って中高の優秀な先生を探し出し、教科書、辞書、編集部伝統のカードを渡して、辞書に載っていない単語やイディオム、語法、用例などを書き出してもらいました。全国で2030人の方々にお願いしたと思います。97年前後だったと思います。この教科書語彙調査の成果を実際に取り込むことができたのは『グランドセンチュリー英和辞典』(2000)でした。多品詞多義語の全体像を示した意味の窓、コロケーション表示、巻末の付録和英も類書を超えるものへと充実させました。これが非常に売れて社内で評価を得て、編集で入った新卒が経験のため営業に配属という流れができました。が、当然ながら向き不向きがあって、必ずしもそれが成功したわけではありませんでした。私は三省堂あるいは辞書業界では異端的なのかもしれません 

    • -1

      『三省堂国語辞典』担当編集者の奥川健太郎氏もその流れを受け継いだ辞書編集者。

  • 03.-

    辞書と学習指導要領・教科書

    御社は教科書と辞書の両方を出版されていて、なおかつ寺本さんご自身が教科書営業と辞書編纂両方のご経験があります。学習指導要領や教科書が英和辞典に与える影響はありますか。

    アンサーアイコン

    現在、英和辞典、特に紙辞書の売り上げは減少しています。電子辞書も頭打ちです。もちろん少子化による生徒数の減少が一因ではありますが、一番影響が大きいのは中学教科書の巻末に新出単語の意味がまとめられたワードリストが掲載されるようになったことではないかと見ています。たしか平成年度版よりすべての中学英語教科書にリストが完備されました。教科書でその語句がどのような意味で使われているか日本語の訳語が載っているので、辞書を引く必要性が大幅に減じています。この巻末リストは百害あって「一利なし」とは言いませんが、中学校で習う語はほとんど多義語・多品詞語であるのに、日本語と一対一の対応をしているかのような、言葉を理解する上で誤った認識あるいは感覚を植えつけてしまうのが良くないと思っています。基本語は意味用法が広く深く、既習であってもそれは氷山の一角で未習部分が圧倒的に多いのです。この巻末リストは高校の高いレベルの教科書には付いていなかったのですが、とうとうそれも怪しくなってきました。かなりの種類の英語Iの教科書が辞書がなくても読めるようになり、辞書離れがさらに進むことの見えにくい影響を危惧しています。 

     

    それと、90年代半ばよりオーラルコミュニケーション、つまり知識偏重ではなく通じる英語・使える英語にシフトせよとの声が高まり、『グランドセンチュリー英和』第2版(2005では巻頭のカラーページに機能別・場面別の会話情報を満載しましたし、英和ですが発信するときに重要なコロケーションや巻末の付録和英インデックスを一層充実させるなどしました英和辞典の技能化を極限にまで推し進めたのが『エースクラウン英和辞典』です。 

     

    また最近は、生徒にタブレット端末を持たせる学校が増えています。私立学校が中心ですが、ICT教育の推進に熱心な地方自治体(佐賀県や広島市など)もあります。そうなると必然的に(辞書を使うとしても)紙の辞書ではなく、辞書アプリに移行することになります。現在は、紙の辞書のコンテンツがアプリになっているわけですが、今後は、良くも悪くも辞書は教科書に従属せざるを得ないのではないかと思います。教科書の副教材でありながらも、教科書ではこぼれ落ちてしまう学習を可能にできる辞書の在り方を考えることが大切だと思います。外国語、特に英語は教育行政や時代の変化に非常に強く影響を受ける存在だと思いますので、そうした変化を敏感に感じ取らなければならないでしょう 

  • 04.-

    辞書のデザイン

    寺本さんがご担当されている『初級クラウン英和・和英辞典』第11版が、2018年度第52回造本装幀コンクールで「日本書籍出版協会理事長賞」(語学・学参・辞事典・全集・社史・年史・自分史部門)を受賞されています。最近辞書の装丁が話題になることが増えましたが、どのような経緯があったのでしょうか。

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    英和辞典の特別な装丁で話題になったのは、学研さんの中学向け英和のディズニー版あたりが先駆けではないでしょうか。もっと前からあるかもしれません。『ジュニア・アンカー英和辞典』は第版(2012)からガールズエディションを出しています。小学生向けですと、小学館さんはドラえもんを使っています。最初は辞書は中身で勝負だと抵抗があったのですが、エヴァンゲリオンやスターウォーズまで出てきてそうも言っていられなくなって(笑)。手に取ってもらえないことには始まりませんので。そこで、辞書のコラムにイラストを描いてもらっていたイラストレーターのナイトウカズミさんのシロクマくんをメインにした装丁をデザイナーの吉野愛さんにお願いしました。シロクマをフィーチャーしたのは環境問題への意識付けということでお堅いうちらしい理由からです(笑)。ゴージャスだけれども上品さを失わないデザインをとお願いをして。まさかあのショッキングピンクが出てくるとは思いませんでしたが(笑)。辞書としての頑丈さは譲れないところでしたが、資材をいろいろ勉強してそういった面もデザインと両立できました。非常に好評で通常版と合わせて、三省堂調べで中学英語辞典売り上げトップに返り咲くことができました。中身さえ良ければいい、という時代ではもうないんですよね。 

  • 05.-

    辞書編集者の育成・辞書編集者に必要な資質

    御社ではどのように辞書編集者を育てていますか。

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    まず第一に、ゲラを読みながら学ぶ、ということが挙げられます。独り立ちの目標は、端的にいえば記述の適否を即決し適切に赤字を入れられる編集者ということでしょうか。業界一般に言えることですが、アウトソーシング(プロダクションを使って辞書を作る)が増えることは、一時の人件費の節減にはなりますが、辞書編集部が縮小され企画力のある編集者育成の機会を奪いかねないので良し悪しです。ゲラ読みがプロダクションとの打ち合わせに取って変わり、伝票切りが編集者のおもな仕事になってしまうのは、辞書界の将来にとっては憂慮すべきことでしょう。 

     

    私の場合、会社が悠長に勉強をさせてくれたと思います様々な面で今よりも余裕があったので学会や研究会への参加を奨励してくれましたし、私は特にそういった場に積極的に出て行きました。また、大学や高校の先生などインテリとだけ交流していては駄目かなと思います。辞書は色々な背景の色々な学習者が使うものです。世間の「普通」を感じていないと、多くの学習者に受け入れられるもの、売れるものを作ることができないのではないかと思っています。ですから、若手編集者にはどんどん外に出るようにくだらないTV番組も色々観るといいといっていますが、昔に比べて全般的に余裕がないので、申し訳ない気持ちもあります。さらには紙の辞書編集に加えて、電子辞書に搭載される場合の窓口になったり、アプリの対応をしたり、これらデジタル商品に合わせたデータづくりをしたりと、紙だけの時代に比べると編集者の仕事が1.5倍くらいになっているように思います。 

    辞書編集者に必要な資質はどのようなことであるとお考えですか。やはり外国語学部でしっかり勉強をしていることが前提になりますか。

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    外国語学部出身の人もいますが、そうでない人も多くいますし、外国語部門でいうと言語学専門ではない人間のほうが多いです一定の語学力がないと困りますが、様々な分野に興味関心があって幅広い知識と素養があればいいと思います。辞書編集には恐らく、好奇心旺盛であきらめが悪く粘り強い人が向いています(笑)。 

     

    一方、国語辞書と比較して英語辞書についていうと、教育法が変われば辞書の位置付けも変わります。明治以降続いてきた文法と読解が中心の教授法では辞書引きは必須でしたし、日本の英語辞書の文法語法記述が充実しているのはそのような背景があるためです。かつてホーンビーが日本人学生への教えにくさは両言語の構造の違いにあるとして詳細な文型を整理し、それが日本に紹介されて5文型に簡略化されて定着しました。私も文型全盛時代のひとりです(笑)。ところが発信重視、4技能バランス重視の時代に入り、辞書引きそのものの出番が減り、それにデジタル化も拍車をかけ、とくに英語辞書ブランドの生き残りをかけた時代に突入しています。こうした根本的な状況変化に対応して、試行錯誤しながら考え続けられる力こそ重要だと思います。 

     

    コーパス言語学でいう「パラレル・コーパス」というものもありますから、か国語で決して単純直線では結ばれない英→日、日→英の言語記述、意味論的・統語論的にきっちり整理された記述を追究してみるのも面白いでしょう。とくにデジタルでは英語教科書や参考書・問題集など副教材との垣根もなくなるかもしれません。多言語・複言語の時代ともいわれていますので、英語のみならず、中国語や韓国語、ポルトガル語やベトナム語やフィリピン語との連携があっても面白いでしょう。これからの辞書編集者には大きな視野で未来像を描けるような、でも仕事が細かい人を求めたいところです。 

    辞書執筆者についてはどうでしょうか。最近、どの辞書でも名前が載る執筆者の数が減っているように思いますが。

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    私が駆け出しのころは、偉い先生をひとりつかまえるとお弟子さんをいわば芋蔓式にたくさん連れてきてくれましたが、そのような徒弟制度的な仕組みはもう崩れてしまって執筆者の確保が難しくなっているのは事実です。昔の先生がたは一口に英語といっても様々な関連分野を経験されていました。現在、英語学を初めとした関連学問は長足の進歩をとげていますが、裏を返せばどんどん専門化の方向に進み細分化されいて、辞書のように多様な関連分野が同居するような書物全体を鳥瞰できるような先生は減ってしまったように思われます。 

     

    ただし、かつては英語辞書の仕事をしても研究実績にならない、論文を本でも本でも書いたほうがましだ膨大な仕事をして謝礼なしだった人を知っているなどと執筆依頼を断られましたが、いまは編集委員以上はもちろん、校閲とか特定のコラム執筆も実績として認められるようになったと聞いています。私の部署でだしている辞書ではそのような丁稚奉公的な勤労奉仕はかなり前から一切しておりません 

     

    一方、辞書の市場規模が縮小し、辞書部も縮小されているので、コストカットと作業の効率化はとても重要です。執筆者が多ければ多いほど、出てくる原稿にばらつきがあり当然やりとりも増える。執筆者を少数精鋭化することによって、その問題を解決することができます。ただ、若い執筆者をどう引き入れていくかは、宮井捷二先生や投野由紀夫先生など主幹クラスの先生がたとは常に話をしています。 

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    辞書編集者として過ごされた27年の間に英和辞書を取り巻く環境は大きく変化したと思いますが、寺本さんからご覧になっていかがでしょうか。

    アンサーアイコン

    私が三省堂に入社した頃は、ちょうど『大辞林』がヒットして会社としての勢いがありました。また競争相手もあまり多くなく、辞書にある程度のお金もかけられる平穏な時代だったと思います。その後カタカナ発音が全見出し語についた英和も登場、英和辞典が上級・中級・初級の大きくつのレベルに分かれました。各社レベルの異なる複数の辞書を出版するようになり、そこにそれまでは辞書を作っていなかった出版社も参入してきました。文英堂さんの『ユニコン英和辞典』(2002、増進会出版社さんの『ワードパワー英英和辞典』(2002)、桐原書店さんの『ロングマン英和辞典』(2006などがありますが、いずれも改訂版は出版されていませんやはり辞書は先行投資が膨大ですので新ブランド投入はできても改訂が難しく、儲けが出るのが改訂版以降という面倒な性質の出版物です。80年代から2000年代にかけての英和・和英辞典出版の最盛期を経て、その後の電子辞書やアプリのデジタル時代をかいくぐってきましたが、辞書出版とくに英語辞書はいま、縮小・精選・変化の時代を迎えていると思われます。 

     

    辞書離れの時代ではありますが、ここで改めて、「辞書」が外国語だけではない学習場面において果たしてきた役割について考える必要があるように思います。まず、辞書引きの中心である英和辞典で辞書の引き方を覚えて引き続ければ、英語だけではなく国語の鍛錬にもつながります。英和辞典なんて半分は日本語で書かれているのですから。さらには高校や大学など英語以外の新しい外国語を学ぶ時にも辞書を引く素地があれば学習に入りやすいと思います。高校まで使っていた電子辞書に中国語やフランス語は入っていませんから紙辞書を買って引くことになるでしょう。 

     

    さらに辞書引きは、語学のみならず他の能力の養成に寄与しているのではないかと思います。目の前の語句を辞書の中に探し、文脈を脳裏に置きつつ意味の概略を推測し、文型をみて品詞を特定し、複数ある語義を比較検討して、もう一度文脈に戻るなどしつつ暫定的な結論を導き出す。テクストと再照合して腑に落ちなければまた一連の思考作業を繰り返すことになり、辞書引きプロセスそのものが密度の濃いトレーニングになっていると思います。この繰り返しが日本人の言語能力と言語感覚、学習能力、長じて社会にでてからの実務の作業能力の基盤になってきたような気がします。 

     

    そして何といっても辞書は値段が安いのです。平均的な英和辞典に含まれる文字量は文庫本200冊に相当するといわれています。文字量だけでみれば辞書は本としては相当お買い得なのです。どんな名作も二三度読めばお終いでしょうが辞書は一生ものです。道具であるのにぱらぱら読むこともできるこうした思いから、なんとかして辞書という書物の良さを伝え続けられたらと思っています。 

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インタビューを終えて

 このプロジェクトの構想を、最初に思い切って相談したのが寺本さんでした。寺本さんに「面白いと思う。」とおっしゃっていただいて、具現化へと動き出すことができました。よって、インタヴュー第1号も寺本さんでした。編集者の仕事について漠然としたイメージしか持っておらず、聞き手としては大変な知識不足でした。寺本さんに、英和だけでなく英語関連の辞書、英語だけでなく国語含む様々な言語の辞書、三省堂だけでなく他社の辞書についても教えていただき、その後に続くインタヴューに必要な知識やアイディアを授けていただきました。
 改めて考えさせられたことも多いですが、「...英和辞典で辞書の引き方を覚えて引き続ければ、英語だけではなく国語の鍛錬にもつながります。英和辞典なんて半分は日本語で書かれているのですから。」というご指摘には、英語を教えるという視点でしか英和辞典を見ていなかったことに気付かされました。また、辞書を引く、という行為が非常に高度な知的活動であること、辞書の価値についての熱い語りには「辞書は三省堂」の魂を見ました!