00

土肥一夫

Kazuo DOHI
元東京都市大学教授
  • 1953年

    京都府生まれ

  • 1976年

    京外国語大学英米語学科卒業

  • 1980年

    東京外国語大学外国語学研究科ゲルマン系言語専攻修士課程修了

  • 1983年

    東横学園女子短期大学 英語英文学科講師、1989年助教授、1996年教授

  • 2013年

    東京都市大学共通教育部外国語共通教育センター教授

『ライトハウス英和辞典』『新英和中辞典』など複数の英和辞典の執筆・編集に携わる。

『ライトハウス英和辞典』『新英和中辞典』など複数の英和辞典の執筆・編集に携わる。

  • 1953

    京都府生まれ

  • 1976

    京外国語大学英米語学科卒業

  • 1980

    東京外国語大学外国語学研究科ゲルマン系言語専攻修士課程修了

  • 1983

    東横学園女子短期大学 英語英文学科講師、1989年助教授、1996年教授

  • 2013

    東京都市大学共通教育部外国語共通教育センター教授

01

Interview

インタビュー

2022.05.08 実施

  • 01.-

    辞書編纂に関わるようになるまで

    先生が英語に興味を持たれたきっかけを教えてください。

    アンサーアイコン

    卒業を控えた小学6年生の時に担任の先生から「(中学校に入学したら英語を勉強するのだから)abcは言えるでしょ?」と聞かれ、他の生徒たちがスラスラと「abcdef」とアルファベットを暗唱する中、僕は文字通りabc 程度までしか知りませんでした。自分の順番が回ってくるまでに必死に他の生徒が暗唱するのを聞いて覚えて、なんとかxyzまで言うことができた、というのが英語に関する記憶として強烈に残っています。 

     

    中学校入学前に、母親が知人に英語の勉強で勧められたのがNHKのラジオ講座でした。それで、NHKラジオ講座を聞くようになり、毎日聞いていれば学校の勉強に困難を覚えることがなく、新たに学ぶ外国語が少しづつ分かるようになる楽しさを感じたのが、英語を好きになったきっかけだと思います。 

     

    当時は街中にネイティブが牧師さん以外ではほとんど見ることもなく、英語に触れる機会もなく、教科書に準拠したカセットではなく)ソノシートを購入するしかなかった時代です。ちなみに教科書は三省堂のクラウンでしたが、三省堂がクラウンという名称を持つ辞書を出版しているなど当時は全く知りませんでした。1年生の時は三井平六先生の「基礎英語」、2年生の時は安田一郎先生の「続基礎英語」、3年生の時は松本亨先生の「英語会話」を聞いて、文字を追うだけではなく耳で音を拾う練習をしていました当時は、朝昼晩と毎日3回放送があったので、朝聞くことができなかったら、その他の回で補うようにしていました。月曜日から土曜日までそれぞれの1年間は毎日新しい内容だったので、今思うと、3年間ラジオ講座を聞いたことは、インプットとしてかなりの量になったと思いますし、英語の基礎力を作ってくれ、英語に興味を持たせてくれたと思います。 

    英和辞典を使うようになったのはいつ頃ですか。

    アンサーアイコン

    中学校の時は、教科書の巻末に簡素な単語リストがあり、ラジオ講座を聞いている分には授業を理解する上であまり問題もなく、辞書を引いた記憶がありません。ところが、高校に入ると、レベルがまるで異なり、教科書に出てくる単語の数も多くなり難易度が上がって辞書を引くようになりました新出単語として教科書の各ページの下に提示されている単語以外でも分からない単語が多くありました。 

     

    研究社の『新英和中辞典』のおそらく初版だったと思いますが、贈り物だったのか自分で購入したのか覚えていませんが、3年間必死に使って文字通りボロボロになりました。『新英和中辞典』は用例に文型を表示していたので、教科書の英文を照らし合わせて単語がどのような意味を持つのかを必死に類推することを繰り返しました(振り返れば、頻度の高い基礎語彙が多かったのですが。)当時はまえがきなど読みませんし、辞書指導もありませんでしたから、使用に慣れるまでは試行錯誤の繰り返しでした。僕らの時代は、勉強は自分でするもの、という感じでしたし、高等学校は義務教育ではないですから。今思えば、辞書を引きながら英文を読む練習をしたことが、英語力をつけることにつながったのかと思います。 

    英語がお好きだったゆえ、大学に進学して英語を学ぶことは自然なことだったのでしょうか。

    アンサーアイコン

    高校ではESSに所属していました。田舎の学校だったのですが、クラブにはLinguaphoneという英語教材のレコードがあって、家に借り出して聞いたりしていましたFENの内容もほとんど分かるわけではありませんでしたが、なんとなく聞いていた記憶がありますラジオ番組では旺文社の「百万人の英語」を聞くこともあり、テレビ番組ではNHKの「英語会話」を見ることもあったと思います。ラジオとテレビの英語番組を利用するしかありませんでした。ちなみに大学受験を考え、英語の通信添削講座を受講しました。 

     

    両親は、小学校と中学校の教師をしていたのですが、医学部や歯学部進学を勧められました。食いっぱぐれがないと思ったのでしょうけれども、物理と化学が不得手で、理工系は無理だと思い英語を理解でき使うことができれば、将来何かしらの形で役立つのではと思い、英語を学びたいと思いました。 

     

    京都の田舎の人間は関西にある大学に進学するのが普通で、京都と大阪(さらに神戸には外国語大学もありますし、実際に同志社大学も受験したのですが、親元を離れたかった(笑)。それで、関東に行きたいと思い、早稲田、慶応、上智などにも願書を出しましたただ、上智大学の文学部の受験日に、池袋で電車(地下鉄の丸の内線の方が山手線と中央線を利用するより短時間で行けると思いこんでいての乗り換えを間違えて試験に間に合いませんでした(笑)一番先に受けた上智大の外国語学部は合格できましたが、面接で文学部の金口儀明先生にさんざん酷評されたことを覚えています。その後、3月下旬に東京外国語大学の合格発表がありました。当時、上智の入学時の納入金は17万程度だったのですが、外大は入学金が3千円、授業料が月1千円ということで外大に進学しました。 

     

    入学後は、アルバイトで家庭教師などをしていたので、ほぼ2万円の仕送りに手をつけずに過ごすことができました。伝手で家庭教師の話があり、下宿先の目の前に塾があってそこで教えたりと、アルバイトに困ることはなく、たまたまですが、家庭教師先が医師や歯科医の裕福なご家庭のお子さんだったりして助かりました。 

    東京外国語大学で辞書編纂に出会われたわけですね。

    アンサーアイコン

    外大に入学し、学部の時には卒業延期をして5年間在籍をしました。大学院の修士課程では(最長許される)4年間を過ごしました学部3年生の時に、東信行先生が茨城大学から移って来られました。東先生のもと卒業研究をしている時に、先生の大学院のゼミ増田秀夫先生(東京理科大学に勤務)や朝尾幸次郎先生外語大から移動され最終勤務先は立命館が院生として受講に参加しました。確かその頃、『ユニオン英和辞典』第2版の調査校正協力の仕事をしたのが始まりです。具体的に何をしたかはよく覚えていないのですが、東先生から声をかけられたのだと思います。その後すぐに『ユニオン』から『ライトハウス』に変わり、そこからは色々と関わってきました。(実は、大学院進学と同時に中高教員の免許を取得していたので都立の商業高校の定時制に勤務し、その後に全日制でも転勤しました。定時制教員と大学院生を兼ねる人は当時それなりいたようです。さらにその後に短大勤務する際には磐崎研究会のメンバーであることが有利に作用したようです。) 

  • 02.-

    『ライトハウス英和辞典』の執筆・編集

    執筆者としての最初のお仕事は『ライトハウス英和辞典』かと思いますが、執筆の仕方はどのように修得されたのでしょうか。

    アンサーアイコン

    ライトハウスは、竹林先生と小島先生が英和・和英と役割分担をされ、後に東先生と中尾先生が中心になり編纂するようになりました。英和に関しては、編集主幹の先生と編集部で編集方針を決めて、執筆要項を作成その際には、編集部が販売部から届く様々な要請などを反映したと思いますがし、それに従って執筆を進めました。最初は見よう見真似で経験を積みながら少しずつ書き方を身につけていったように思います。英米の辞書を参照しながらどのような記述が必要なのかを考えるにしても、二言語の辞書においては X=Y とはいかないわけですから言葉に対する鋭い意識と英語力がないとなかなかうまくいきません。丁稚奉公ではないですが、失敗しながらそして編集部からフィードバックをもらいながら少しずつ慣れていったと思います。 

     

    執筆要項自体も実際に、執筆を進める中で個々のケースにおいて不都合が生じ、対応を検討する中で改編されていきます。 

    先生は、『ライトハウス英和辞典』では第5版から編集委員になられていますが、それに伴って大きく役割が変わったことなどありましたか。

    アンサーアイコン

    編集委員は、編集部が決めていると思いますが、主にどのような役割で編纂に関わったか、また執筆の貢献度があるのだと思います。私の場合は、最初から編集委員として仕事をするというより、一人の執筆者としての仕事量貢献度が評価されて、編集委員として扱っていただいた、と認識しています。 

    『新英和中辞典』には、第7版からはじめから編集委員として携わっていらっしゃいますが、この場合はどのような基準だったのでしょうか。

    アンサーアイコン

    この場合は、時間的な制約があり、ある程度の期間内で、改訂のポイントを絞り込んでいたです。そして、そのポイントに主だって少人数で取り組むことが決まっていたからです 

  • 03.-

    岩崎研究会

    研究会に入会されたのはいつでしたでしょうか。やはり、東先生のご紹介でしょうか。

    アンサーアイコン

    学部の3年か4年だったと思います。東先生からの紹介もあったと思いますが、竹林先生からも紹介されたようにも思います。当時は竹林先生、東先生の研究室に関係していた(英語学、[英語]音声学を専攻する)学生の多く(また、当然のように大学院生)が入会したと思います。ただし、みんなが辞書に関心を持ち執筆を担当したとは限りませんが。決め手は会員名簿ですが、記録として残っているのはいつからかがわかりません。 

     

    岩崎研究会の読書会や、辞書分析のプロジェクトは、実際の辞書の執筆に何かしらかの影響がありましたか。

    アンサーアイコン

    岩研読書会と辞書分析プロジェクトが私個人に与えた顕著な影響は研究と論文・口頭発表等においての貢献です。辞書の世界に開眼させられ、引き込まれるきっかけになりました。辞書の世界では研究と実践(執筆)の両面が不可欠であると確信しています。辞書の執筆(実践)に関して直接に顕著な影響を与えたかどうかは判断が難しいですが、執筆に影響していると考えられなくはないと思います。例えば、何を記述するか、何を信頼にたりる参考図書とするか、英英学習辞典は必ずしも同様ではなく記述に差異があり誤謬もあることに気づかせてくれました。記述の傾向を知ることもでき、情報の取捨選択が重要であることを教えてくれたと思います。あらゆる辞書がオーセンティックな言語の実態を反映させられるとは限らないこともわかり、気持ちとしては英語教育で少しでも貢献ができればと思い、執筆を続けられたように思います。 

  • 04.-

    辞書執筆者・編集者に必要な資質

    辞書執筆者にはどのような資質が求められるとお考えになりますか。 

    アンサーアイコン

    現代の世の中の動向、語学英語学どのような発表されたか、辞書においてはどのような項目が記述に取れ入れられたか、アンテナを巡らせておく必要があると思います。ただし、それを実際に辞書記述に反映させるか否かは別かと思いますが。例えば、コーパスというデータを利用し時代の先駆けとなったコウビルド辞典が従来の英語の辞書にはなかった ergative の概念を取り入れた時は、これを英和にも取り入れられるのかどうかなどを考えることになりました。さらに、英語の力はもちろん、日本語の表現力や語彙力も不可欠だと思います。 

     

    そして、言葉に対して敏感であることに加え世の中の状況、百科的な情報を把握しておかないと記述が古くなることに気づかないと思います。たとえば、2021年からアメリカの祝日が1日増えましたが= ジューンティーンス (Juneteenth)、そういったことを見逃していると、項目やコラムから新しい祝日が漏れてしまう、ということが生じます。 

     

    また、根本的に忍耐力と犠牲的な精神(笑)がないといけないのかもしれませんね。そして、前世紀の井上十吉、斎藤秀三郎などの編者と違い、今の時代は一人では絶対にできない仕事ですので、チームワークに参加できる協調性更にはまとめる立場の編者の叱咤激励を含め寛容性や包容力も問われるかもしれません。 

    先生ご自身が、40年以上にわたり、辞書編纂のお仕事を続けてこられたのはなぜだとお考えですか。

    アンサーアイコン

    関心があり面白いと感じなければ続けていない。辛くてたまらないとか、苦しいということを痛感しなかったから、でしょうか。(時に鈍感さも必要かも。)先達が積み上げてきたものに、何か新しいものを見つけ出していく、自分なりの貢献ができるそれは、砂漠の中の砂一粒程度かもしれないけれども自信というよりも何らかの希望を持ってきたから関わってきたと言えるかもしれません。 

    先生が辞書執筆に携わってこられた年月の中で、辞書の記述も、規範主義から記述主義へと変わってきたように思いますが、その点で何か変化はあったでしょうか。

    アンサーアイコン

    どの時代においても、辞書に記述されるとそれは規範になってしまう、という認識を辞書編纂者は持つべきであると思います。確かに、言語学では「記述的」と言えるかもしれないけれども、一般の使用者とりわけ辞書の記述に慣れていない学習者であればあるほど、彼らから見れば規範となるという認識が必要でしょう。立場によって物の見方が違うことを感じます。たとえば、he や she の3人称を they で受けるのが今では一般的になってきているけれども、それを「学習」辞書に載せるのか載せないのか、載せるとしたら語法注記なのか、(普通の用法として)用例として出すのか。特に学生は「辞書に載っていません」「辞書に載っています」という見方をします。 

     

    また、世代によって言語感覚が全く異なるので、難しいところです辞書は、通常は対象者を想定して編集しますが、使用者の属性(例えば高校生や大学生)よりも習熟度に合わせて差別化した編集している、と言えますその意味においては全世代を対象としうる記述をする辞書年齢が高い層はより古風な」あるいは「慣習的な言葉遣いを支持する傾向があり、の基準を設定するのは大変難しいです。 

  • 05.-

    これからの英和辞典のあり方

    英和辞典に限らず、辞書界は苦境に立たされていますが、どのようにご覧になっていますか。

    アンサーアイコン

    インターネット、AIが発達してきた現在—マクミランが紙の辞書の出版を2000年代にやめたように紙の辞書はいつまで存在するのだろうか、と思います。オックスフォードはデータベースを持っていることもあり(日本にルーツを持つ)OALD は改訂され続けていますが、ケンブリッジやロングマンはどうなるのだろう、と気にかけています。 

     

    出版業界は利潤がある程度出なければ次のものないでしょうから、日本の大小の出版社においてもどのような状況になるのか関心があります研究社、大修館などでも大辞典に相当するものの出版は厳しい状況にあるのではないかと思います。さらに、日本のような少子高齢化社会において、学習英和辞典も学校という教育現場でどれくらい売れていくのか。経済格差も出ている今、2,500円から3,500円という価格のものを生徒・学生は買うかどうか。(たとえ通信費にかけることはいとわなくても。すでに持っているスマホを利用し、しかも無料で使えるものの方が便利で都合がいいでしょう。21世紀の最後まで紙辞書は残っているでしょうか。残っている、そうであって欲しいとは思いますが。 

     

    国語辞典は岩波書店や三省堂が意欲的に紙の形態の辞書を出版し続けていますし、すぐに紙版がなくなることはないと思います。同様に、英語を学ぶ人(中高大生とは限らない)がいれば英和辞典も紙の形態で生き残るでしょう。大学や公立図書館なども購入するでしょう。しかし、その部数が減少することは確実だと思います。それを補充する手段を出版社も想定せざるを得ないのではないでしょうか。 

     

    また、大きい問題としては「人材」が挙げられると思います。若い研究者たちが辞書の仕事に対して、どのくらい積極的に取り組めるのか。現在の東京外国語大学浦田和幸先生、斉藤弘子先生の薫陶を受ける学生さんもいるわけですが、数多くはないでしょうし、その方々がどの程度辞書自体に関心を持るか。辞書の仕事は、かなりの忍耐力、集中力がないといけないですが研究者として各大学に提出する研究業績出版物としては、数年に一度記載できるかどうかというものに関わってくれる研究者(や学部生・院生、更には高校教員も含めがいるのか。辞書編集の主体となる大学教員は講義や授業があそれに劣らない雑用事務作業があり私生活もありという環境で、竹林先生、小島先生、東先生、中尾先生等々活躍されていた時代とは隔世の感があります(ネットやデータの検索を含め)辞書の仕事に関わる時間がなければ執筆などできませんから。出版社は辞書の編集・執筆者の有無とその確保が頭の痛い問題になるかもしれません。人的なつながりを確保できないと改訂や新企画の構築は困難でしょうから。 

     

    個人的な関心から少し首を突っ込んだ20世紀の英和辞典の歴史を少し振り返って見ると、たとえ辞書としてどんなに優れたと判断される辞書であってもどんなに高く評価ができる辞書であっても、改訂されないと廃れていってしまう運命にある、と感じます。特に、1900年代前半の辞書について言えるでしょう。岩波書店から出版されている斎藤秀三郎の『熟語本位英和中辞典』は稀有な例でしょう。クラウンも改訂を重ねて出版されていますし。 

    改訂されないというのは、つまり、偉大な編纂者の叡智が引き継がれない、引き継がれて発展させられていかない、ということですよね。もったいないことだと思います。

    アンサーアイコン

    知的財産としては、さほど売れ行きがよくなくとも、5年おきに、あるいは10年に一度でも改訂を継続することが想定されるけれども、営利事業として成立するでしょうか。21世紀においては、かなり厳しいのではないかと感じます出版社側にそれだけの強い覚悟があれば別かもしれませんが。 

    日本における英和辞典の発達において、大学が果たした役割はとても大きかったと思います。その点はいかがでしょうか。研究社の辞書を支えてきた東京外国語大学、早稲田大学や、『ウィズダム英和辞典』も京都外国語大学なくしてはできなかっただろう、と赤野先生は仰っています。恩師と弟子の関係や、大学教員が今のようには忙しくなかったことも大きな要素になると思いますが。

    アンサーアイコン

    研究社の場合は、20世紀前半において『英和大辞典』が出版され、その改訂に岩崎民平先生が関わさらに竹林先生が岩崎先生の教え子として存在し恩師と教え子の関係が引き継がれ辞書が改訂し続けた、ということはあると思います。個人的なことですが、恩師と教え子の協力が象徴的な出版物がLongman Dictionary of English Idioms (1979) の邦語訳版研究社―ロングマン イディオム英和辞典』(1989東先生と諏訪部仁先生が中心となり、浦田和幸、松本理一郎、石館弘國と私という東先生の教え子四名が関わりました単なる邦訳でなく追加情報を提供するため出来上がったものですが印象深いものです。細かな作業を積み重ね、OED など資料も参照しましたが、邦訳するむずかしさを痛切に感じ同時に様々な辞書の存在に開眼させられ興味を持つきっかけにもなったと思います。 

     

    前世紀後半は日本が高度成長期にあり、世界では英語という言語がコミュニケーションでの世界言語として確立された時代であったことも英語の辞書(英英辞典、英和辞典、和英辞典)の発展に大きく影響していると思います。OALD が世界中で売れるとか、研究社の辞書もよく売れて改訂が重ねられる、というのは、日本と世界社会経済状況とも少なからず関わっていたと思います。今のような、世界がどうなるか分からない状況、二極化する傾向にあるされる社会、さらにはインターネットに無数の無料の(真偽を問わない情報が溢れている時に、さらにAIが大きく社会活動に関わる可能性が高い状況で、わざわざお金を払ってCD・DVDとも異なりかさばって重たい高額な紙の辞書を買う人がどれだけいるでしょうか。もちろん一定数いることも否定はしません。 

    先生のおっしゃる通りだと思いました。今は、多言語・多文化の時代ですけれども、当時は、日本にとって国際化=英語を意味する時代でしたよね。英国も「英語」を輸出することに力を入れていたと思います。

    アンサーアイコン

    20世紀は、外国語学部とか、文学部でも英文科(あるいは英語英文学科)花形でした。今は、英文科のある大学短期大学が幾つ残ってる?というくらいに、今世紀入り状況が激変したと感じます。文学部や英文科を廃止し、国際という冠のついた学部や学科に変更するのが一般的になりました。(IT技術の獲得と英語力はあって当たり前という社会になっているように感じます。) 

    これからの英和辞典はどのような方向に向かうとお考えでしょうか。

    アンサーアイコン

    紙の辞書は平面的で、3次元的なものになればいい(そうなる)だろうと思います。30年ほど前のことですが、辞書学を学術分野として開拓された英国エクセター大学で教鞭をとられたラインハート・ハートマン博士が「辞書はカメラで撮る写真みたいなものだ。」と仰ったと記憶しています。英語でどういう言い回しをされたかは覚えていないのですが。カメラが風景を切り取るように、辞書は言葉の一部分を写しとれるのだけれども、現実の世界は平面的ではなく立体的なものだ、ということかと推測します。 

     

    オンラインで情報にアクセスできる、単に言葉単語や表現を調べるだけではない、カラフル(立体的な)映像・画像や音楽・音声つくものになればと思います日本では小学校から英語教育が始まるので、音声が重視されると思いますし、書き言葉でなく最初は基礎語彙と話し言葉に重点が置かれるでしょうから、文法も話し言葉の文法や語彙・表現が重視されるでしょう。そこでは実際に人が会話をしている用例が出てくるものなど、様々な展開がないと若い人に訴えかけるものにはならないのではないかと思います。デジタル教材としての辞書も必要でしょう。現代は聴覚のみならず視覚アニメーションのような動画を求めるところが大きいと思いますし、スマホから簡単にアクセスでき欲しい情報が容易に見つかり(検索でき)しかも楽しく使える辞書(アプリ、あるいは相当するソフトあればさらに興味を持たれるのではないでしょうか。辞書に関するゲームがあれば関心を高められる可能性も否定できないと思います。今世紀の若い研究者の創造力(と技術力)に期待しています。例えば、将棋のAI開発をする弁護士がいるように辞書の世界でもIT、AIの活用が求められると思いますボリュームの大きな百科事典がCD・DVD化されたり、OED のようにサブスクリプションによる辞書の情報提供になったりとSDGs のような社会問題を考慮してさらに辞書はペーパーレスになる運命かもしれません。ITが21世紀に移行する前後30年間に顕著な発展をしたように、今後の半世紀は想像を絶するたような(従来の辞書という狭い世界ではなく)レファレンスサイエンスとして発展していくのかもしれません。そんな未来でも地道に堅実に改訂される紙の辞書の刊行を希望したいと考えます。

02

06.-

インタビューを終えて

 土肥先生は岩崎研究会の大先輩で、長年お世話になっています。辞書学を学び始めた右も左も分からない大学院生の頃から、研究会内の勉強会でご指導をたくさん賜りました。土肥先生の大変に緻密な、正確を期すためには労を全く厭わない、徹底して調べる、研究者としての姿勢を間近に見ることができたのは、私に「調べる」とはどういうことか、そして「きちんと」調べるの基準を、知らず知らずのうちに植え付けてくださったのではないかと、今回お話を伺いながら気づきました。
 土肥先生とはそんな風に若い頃に勉強会で多くの時間を一緒にしましたが、先生の現代の英和辞典に関する哲学についてお伺いするのは初めてでした。久しぶりに土肥節を聞くことができてとても嬉しかったです。そして、私の物の見方はまだまだ近視眼的だな、と思い知りました。