00

八木克正

Katsumasa YAGI
関西学院大学名誉教授
  • 1944年

    兵庫県神戸市生まれ

  • 1967年

    神戸市外国語大学外国語学部英米学科卒業

  • 1968年

    兵庫県立姫路産業技術高等学校教諭

  • 1973年

    神戸市外国語大学大学院外国語学研究科修士課程修了

  • 1975年

    帝塚山短期大学講師 (1985年教授)

  • 1996年

    帝塚山大学教養部教授

  • 1997年

    関西学院大学社会学部教授

  • 2001年

    関西学院大学言語コミュニケーション文化研究科教授(2013年定年退職)

  • 2013年

    関西外国語大学客員教授(2015年退職)

『ユースプログレッシブ英和辞典』編集主幹。
『ジーニアス英和辞典』、『プログレッシブ英和中辞典』他、多数の英語辞書の編纂に携わる。

『ユースプログレッシブ英和辞典』編集主幹。
『ジーニアス英和辞典』、『プログレッシブ英和中辞典』他、多数の英語辞書の編纂に携わる。

  • 1944

    兵庫県神戸市生まれ

  • 1967

    神戸市外国語大学外国語学部英米学科卒業

  • 1968

    兵庫県立姫路産業技術高等学校教諭

  • 1973

    神戸市外国語大学大学院外国語学研究科修士課程修了

  • 1975

    帝塚山短期大学講師 (1985年教授)

  • 1996

    帝塚山大学教養部教授

  • 1997

    関西学院大学社会学部教授

  • 2001

    関西学院大学言語コミュニケーション文化研究科教授(2013年定年退職)

  • 2013

    関西外国語大学客員教授(2015年退職)

01

Interview

インタビュー

2023.07.15 実施

  • 01.-

    辞書編纂に携わるようになるまで

    先生が英語に興味関心を抱いたきっかけを教えてください。

    アンサーアイコン

    小学校の低学年の頃、健康にも環境面にも恵まれておらず、勉強があまりできませんでした。56年生の頃から少しずつ勉強する意欲が出てきました。それで、全員が等しく中学校から学び始める、スタート地点が同じである英語をがんばって勉強してみよう、と思ったんです。英語の勉強をがんばってできるようになると、他の科目もできるようになりました。

    そういった特別な思いを持って始められた英語の勉強を学校の先生は後押ししてくれましたか。

    アンサーアイコン

    中学校では、金田正也先生後に名古屋学院大学で教鞭を取られた英語教育の専門家に大変かわいがっていただきました。私が熱心に勉強するのを見て、英語学習のためのレコードを貸してくれたりもしました。自宅にはプレーヤーがなかったので聴けなかったのですが。中学校の英語弁論大会では、弁士ではなく、司会を先生に任されて、勝手が分からない中で必死に務めたりもしました。

    中学生の時分から英和辞典を引き、教科書に出てきた単語、ラジオ番組に出てきた単語、すべて単語帳にまとめていたそうですね。最初の英和辞典にはどのように出会ったのですか。

    アンサーアイコン

    旺文社の学習雑誌(『中一時代』)を購読していて、その懸賞に申し込んで当たったのが『ベスタ英和辞典』(1956)です。中学生の間はずっと使っていましたが、もう手元にありません。出版社が企画する英語学習方法についての講演会などにも出かけていたのですが、そこで単語力をつけるために『コンサイス英和辞典』を読んで、覚えたページを食べる、などというのも初めて聞きました(笑)。

    ラジオ放送「百万人の英語」やTVドラマなども活用して、英語の勉強を徹底的になさっていたようですね。

    アンサーアイコン

    NHKのラジオ講座も聴いていましたが、私の英語の基礎は「百万人の英語」で築いたと思います。中学3年生の時は、毎日、丸一年聴き続けました。五十嵐新次郎先生(早稲田大学教育学部)が担当されていました。外で遊んでいても、ラジオの時間になると帰宅していました。多分、夕方の5時から始まっていたと思います。当時、「百万人の英語」を聴いているというと、中学生には難しくないのか、高校生や大学生が聴くものではないのか、と言われましたが、とにかく好きで好きで聴いていました。五十嵐新次郎、鬼頭イツ子、半田一郎、James Harris—私の恩師と言っていい存在です。

     

    五十嵐新次郎先生の発音練習とJames Harris先生の発音を一生懸命真似していたので、発音が上手になったと思います。70歳の時に高校の同期会があったのですが、同級生から「八木くんは高校時代、先生の代わりにモデルリーディングをやっていた。」と言われて、そんなこともあったな、と思い出しました。「発音がいいから代わりに読め。」と仰ってくれた楞野先生には、その後もとてもお世話になりました。

     

    中学校2年生の時には、神戸市がシアトルと姉妹都市になり、シアトルの中学生と文通をするようにもなりました。学習雑誌に出てきた英文を真似したりしながら、英語で手紙を書いていました。「英借文」ですね。いつの間にか途切れてしまいましたが、高校まで文通は続きました。

    高校時代は(相対的に)英語の勉強には力を入れていなかった(部活動や他の勉強に時間を充てていた)そうですが、「外国語大学で英語を学ぶ」という進路を選択されるに至ったのはなぜでしょうか。

    アンサーアイコン

    受験勉強にはあまり力を入れていなかったと思います。僕は小説を読むのが好きで、小説ばかり読んでいて。数学の勉強には苦労しました。本当は、法学部に行って、弁護士になりたかったんです。当時は国公立大学は一期校と二期校に分かれていて、第一志望は一期校だったわけですが、二期校であった神戸市外国語大学に進学することになりました。浪人したり、私立大学に行く余裕もなかったこともありますが、英語の勉強も好きでしたから。

    神戸外大での小西友七先生との出会いや学びについて教えてください。

    アンサーアイコン

    年次の文法の授業で、小西先生に教わりました。また、私が3年生になる時に、ちょうど小西先生が教授に昇進されてゼミを担当するようになったので、先生のゼミに入りました。ゼミの同級生に、熊本大学の西川盛雄さん、そして『ベーシックジーニアス英和辞典』の編集主幹の原川さんは1つ下ですね。赤野一郎さんとは大学院の時に一緒でした。

     

    卒業論文は当時義務ではなかったので執筆しなかったのですが、意味とコロケーションに特に関心がありました。コロケーションについて知ったのは、ロンドン学派の RobinsによるGeneral Linguistics: An Introductory Survey (1964) でした。

     

    大学は自分で学費を納めていたので、アルバイトでも忙しくしていました。主に家庭教師でしたが、小西先生の息子さんが中学校3年生の時にも「発音がいいから。」と家庭教師をさせてもらったりもしました。大学院への進学も、高校の教員を年間してからで、大学院にも定時制の高校で教えながら通うという離れ業をしていました。大学院の授業を受けて、時には新幹線に飛び乗って、夕方時半には高校に行って時頃まで教え、そして帰ってきて勉強をする生活でした。

    1970年代は、生成文法一辺倒で、語法研究は「まだあんなことやってる。」とばかにされるようなこともありました。辞書も「ようあんなことやってるわ。」と見られていました。「お前らに理論はないじゃないか。」とよく言われました。僕に言わせれば、「あなた方の理論というのは自分で作ったんじゃないでしょ?チョムスキーが作ったのを勉強しているだけでしょ。」となるわけですが。

    執筆者として関わられた最初の辞書は、『英語慣用法辞典』(改訂版)(1973)かと思いますが、辞書のお仕事にはいつ頃から携われたのでしょうか。

    アンサーアイコン

    大学の年生の頃からです。最終的には出版されずに日の目を見なかったのですが、当時小西先生は三省堂の英和大辞典の編集に関わられていました。小西先生が校閲者として、色々な人の原稿に赤を入れる際の資料を準備したのが最初の仕事です。原稿を他の辞書と照らし合わせて記述に誤りや抜け落ちている点がないかどうかを調べていました。

     

    『英語慣用法辞典』(改訂版)は、大塚高信先生に三省堂から改訂のお話があり、大塚先生が教え子の小西先生にお任せされ、小西先生から弟子たちが任されました。大塚先生には一度だけお会いしました。方針の説明が編者からあったかどうか、記憶が定かではないのですが、初版はFowlerなど外国の文献の翻訳が中心を占めていたので、そうではなく、日本における語法研究の成果を取り入れたものを作ろう、という話を自分たちでしたことは覚えています。

    • -2

      中嶋孝雄「小西先生と三省堂」ウィズダム和英 小西友七先生追悼コラム

      http://wisdom.dual-d.net/column/konishi/04nakajima.html
    • -3

      「改訂版への序」
      このたびの改訂は、次に記す諸氏の協力を得て行われた。

       福島重一  原川博善  児玉徳美  河野守夫
       南出康世  三宅 胖  長嶋昭親  中野道雄
       柴田道雄  八木克正  吉田一彦  (ABC順)

      執筆はこれら全員に担当して頂いたが、中でも児玉・南出両氏は、原川・吉田両氏と共に校閲・調査の任に当たったり、原川氏とともに校正の仕事をするなどして、全般にわたり編者に援助を与えることを惜しまなかった。

    • -4

      「初版への序」において「本書を編集するにあたっては、内外の辞書や文法書に負うところ多大であったことはいうまでもない。」と述べている。(p. xv)

  • 02.-

    辞書執筆・編纂について

    先生は数々の辞書執筆を手掛けていらっしゃいますが、原稿の書き方はどのように身につけて行かれたのでしょうか。

    アンサーアイコン

    原稿の書き方を教わったことはなかったですね。下調べの仕事などを通して、執筆要項に従って書きながら身につけていったのだと思います。

    執筆者としてもっとも困難に思う点は何でしょうか。

    アンサーアイコン

    難しいことは色々あるけど、一番難しいのは、他の辞書の記述と、現在進行形で取り組んでいる辞書の記述が異なる場合に、どちらが正しいかを見極めることでしょうかね。

    先生は11冊もの辞書の編纂に携わっていますが、異なる辞書に取り組む時に頭の切り替えはどうされているのですか。

    アンサーアイコン

    小説家だって、たとえば浅田次郎なら、歴史物、現代物、記録物とあらゆるジャンルのものを取り扱うでしょう。色々なことをやっているように見えるかもしれないけれど、基礎は一緒です。ただ、ちょっと異なることをやっている方が、頭の切り替えが上手くなるのかもしれません。『熟語本位英和中辞典新版』(2016)の仕事と、『小学館オックスフォード英語コロケーション辞典』(2015)の仕事は時期的に完全に重なっていたのですが、午前中は『熟語本位』、午後は『コロケーション』というように時間を区切っていました。午前と午後では目にする英語がまったく違ったのが印象的でした。

    『ランダムハウス英和大辞典』は、日本人英語学習者にとってより有益なものとなるように情報が加えられたということですが、どのような手順があったのでしょうか。

    アンサーアイコン

    最初は、原著を訳しただけでいいだろう、ということでスタートしたのですが、それでは中身がスカスカになってしまうことがわかりました。日本で英語を勉強する人に必要な情報がまったくない。研究社の『英和大辞典』に及びもつかない。そこで、英米の文法書から大事な情報をカードにまとめる、文学作品等から用例を収集してカードにまとめる、ということをしました。バブル期だったので、カード1枚で100円とか、お小遣い稼ぎにもちょうど良く(笑)みんな一生懸命カードを作りました。一方、語義分けは非常に優れていました。意味分析の勉強になりました。後で調べてみるとOEDに基づいていることがわかったのですが。

     

    ただ、現在取り組んでいる仕事で研究社の英和大辞典とランダムハウスを比べることが多いのですが、研究社の大英和が圧倒的に優れています。18世紀、19世紀の作品に注釈をつけているのですが、ランダムハウスでは役に立たない。辞書の目的が異なるといえど大辞典なら後期近代英語の情報くらい欲しいと思うのですが。アメリカの現代英語を読むにはいいのでしょうけれど。

     

    実は、小学館からランダムハウス第版の編集主幹の話があったんです。ランダムハウスは自分のところでは紙ベースでは出さない、ゲラを渡すから日本で第3版を出さないか、という話があったのですが、お金の面で折り合いがつかなかったようで話が消えてしまいました。

    先生は斎藤秀三郎の『熟語本位英和中辞典新版』(2016)に注釈をつけ、そこから見えてきたものを『斎藤さんの英和中辞典 響あう日本語と英語を求めて』(2016)にまとめられました。このお仕事で何か変化はありましたか。

    アンサーアイコン

    一つは、18世紀、19世紀の小説がかなり読めるようになってきたことです。読もうという気もあまりなかったその頃の小説を読めるようになりました。1960年代、受験生のバイブルと言われた山崎貞の『新々英文解釈研究』という参考書や、小野圭次郎の『新制英文の解釈研究法』という英文解釈の参考書があるのです が、改訂増補の部分を除けば戦前の入試問題の過去問を扱っているんですね。その問題の出典をここ2~年調べていて、そのほとんどが18世紀、19世紀の作品なんです。2、行だけ抜粋されて解釈問題になっているわけですが、前後関係もわからないのに、わかるわけがない(笑)。出典を突き止めて、前後合わせて読んでみると、その2、行の持つ意味がよくわかる。この数行の問題文の前後の300語から400語のまとまりのある文章にして、後期近代英語の英文解釈の参考書を作りたいと思うようになりました。そういう仕事をやってもいいな、と思うくらいその時代の英語がわかるようになりました。

  • 03.-

    『ユースプログレッシブ英和辞典』の編纂について

    『ラーナーズプログレッシブ英和辞典』(編者:小西友七、安井稔、國廣哲彌、堀内克明)で編集委員を務められた先生が『ユースプログレッシブ』の編集主幹として引き継がれたのはいわば自然な流れだったのでしょうか。

    アンサーアイコン

    『ラーナーズ』の改訂(1997)を、私と岸野英治さんが中心になって行いました。その後、もう少し見出し語を増やして、より語法に詳しい辞書を、コーパスを活用して作ってほしいと小学館から依頼されました。それが『ユースプログレッシブ』になりました。

    執筆陣などはどのように編成されたのでしょうか。

    アンサーアイコン

    編集委員は、友人にお願いをしました。安井泉さんは学会で知り合いました。内田聖二さん、衣笠忠司さんは同じ小西ゼミの後輩です。田中実さんは関学で知り合いました。そして、それぞれに執筆者を推薦してもらいました。住吉誠君は、非常勤先の神戸外大での教え子です。

    まえがき「4. 古い情報・誤った情報の排除」は、特徴的かと思います。また、先生の信念を表すものであると理解しています。より具体的には、コーパスの活用と、「不可能な表現」について正確を期すためのインフォーマントの組み合わせにて記述の改善を徹底しているのかと思いますが、チーム全体ではどのように共有していかれたのですか。

    アンサーアイコン

    古い情報・誤った情報の排除、これが一番の目的でした。これを絶対やりたい。それまでに論文で発表したり、雑誌『英語教育』に投稿して一石を投じてきたつもりでしたが、なかなか浸透しない。この問題意識自体は、大学に入学した時から持っていました。大学に入って初めて英語母語話者であるアメリカ人やイギリス人による英会話の授業を受けて、辞書に書いてある表現をそのまま使うと、何その英語?と言われてしまう。そこで、何がおかしいのかを調べ始めて、ライフワークになりました。英和辞典はみんな同じことを書いてある、一体このおかしいと言われてしまう表現はどこから来たのかを辿っていくと、斎藤の『熟語本位英和辞典』に行き着く、ということがわかったわけですが。そこまで行くにはかなりの時間がかかりましたけどね。やってみると面白いですよ。これも違う、あれも違う、発見するたびにドーパミンが出るんですね。毎日のように発見があって楽しいです。これは『ユースプログレッシブ』にも言えることで、まだこんな間違いが書いてある、と思うことが実はあります。

     

    こういう問題意識があってこそできる仕事なので、共有するのはなかなか大変です。最初の編集会議で説明して、かなり細かい執筆要項をお渡しして、その通りに執筆してもらうわけですが、その通りにはいきません。執筆者は、『ジーニアス英和辞典』を権威として見ていますから、『ジーニアス』に書いてあるのに『ユース』に書いてないことがあると、真似をするわけです。また、辞書の使用者も「ジーニアスにはあるのにユースにはない。」と捉えてくる。その点、きちんと説明しておかなくては、と考えて、小学館のホームページで「語法の鉄人」を連載(163回)して、解説をしたんです。これを参考にして他の英和辞典も大分訂正を加えています。今は、僕は、自分の研究は英和辞典をよくするためなら自由に使ってもらったらいい、と考えるようになりましたが、もう少し若い頃は、勝手に使って、という気持ちもありました。

  • 04.-

    語法研究と辞書編纂

    コーパス以前は、先生は用例カードを作っていらしたんですよね。

    アンサーアイコン

    自家製の用例カードを作っていました。今でも山積みになっています。文学作品や新聞雑誌等、相当読みましたね。一冊読み終わると、下線を引いた部分を切り取って、カードに貼り付けて、出典をメモして。アルファベット順に並べてファイルして。まぁ、手間がかかりますね。家内にも手伝ってもらったりもしました。今まで見たことのないような例をカードに残しておく。もちろん用例カードだけでは十分ではないので、考察をする際には、結局外国の辞書に頼るところがありますし、用例探しにも苦労をしましたが、語法研究や辞書執筆の資料になりました。コーパスを使えるようになったのは本当に夢のような話です。

    少し話が逸れますが、先生の表現をお借りするとphilological な勉強をされて、用例カードを自作された方がコーパスを使うのと、コーパス言語学が確立されてからコーパスを使うのとでは、何か大きな違いがあるのではないかと感じます。

    アンサーアイコン

    新しい言語学、理論言語学は、文学など何も関係ない。研究対象は日常言語であるわけだから文学など読まなくても研究は成り立つ。僕には面白くないけどね(笑)。日本では、国語学という伝統的な学問があって、国語学の研究者はもちろん万葉集も知っていないといけないし、伊勢物語も知っていないといけないし、となるけれども、日本語学は、万葉集がどっち向いてようが(笑)関係ない。夏目漱石すら読んでいなくても研究ができる。

     

    生成文法は僕もとても影響を受けていますが、20世紀の終わりになって再び、伝統的な言語学の重要性が認識されるようになってきました。伝統文法があって、そこに構造言語学が登場して、そして生成文法が来た。構造言語学に生成文法が取って代わったのはその通りだけど、伝統文法に取って代わることはできない。そもそもまったく違うものだから。それをあたかも伝統文法なんて古いものは捨てて、生成文法が取って代わるというのはあり得ない。関係ない。関係がない、としないと、たとえばディケンズの英語は誰も読めなくなってしまう。そんなのおかしいでしょう。伝統文法が何かに取って代わられることはないんです。

    小西先生が初代会長を務められた英語語法文法学会においては、初期の頃から、辞書に関するシンポジウムやセミナーを開催し、八木先生は頻繁にご登壇されています。こちらの学会の発展と辞書研究との相互作用についてどのように捉えていらっしゃいますか。

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    語法研究と辞書編集は切っても切れない関係にあります。英語語法文法学会は、小西先生の教え子で始めた六甲英語学研究会が母体となって設立されました。もともと関東は理論志向、関西(もしくは神戸外大)は語法研究、という雰囲気がありました。そこで、語法研究をより広めるために、趣旨に賛同してくれる人に関東からも入ってもらってできた研究会です。安井泉さんなどがそうですね。

     

    『ジーニアス英和辞典』が成功したのも、その下地として『前置詞活用辞典』、『英語基本動詞辞典』、『英語基本形容詞・副詞辞典』、『英語基本名詞辞典』などが存在したからで、その背景には圧倒的な語法研究の力があると言えます。良い辞書の条件の一つが、語法に詳しい、というのはトレンドになっているのではないでしょうか。

    詳細な語法記述をトレンドにしたのが小西一族(!)と言ってもいいのではないでしょうか。

    アンサーアイコン

    小西先生から教え子たちが語法重視の伝統を引き継いだことは間違いないのですが、もう少し丁寧に英和辞典の歴史を振り返ると、語法記述を充実させる試みはさらに遡ることができます。

     

    英和辞典の歴史をみると、私の時代区分からいうと、大正から昭和初期にかけて、日本で英語を学ぶ人に必要な情報を盛り込む英和辞典の時代に入ります。そして、入江祝江、井上十吉、斎藤秀三郎、神田乃武の英和辞典が出ます。この中で、特に入江の辞典が語法記述が充実しているし、また、斎藤も語法とイディオムの記述が充実しています。日本的な語法重視はすでに大正期からはじまっていて、戦後でも『英語教育』誌のQBを通じて、日本的な語法好きが育まれてきたと思います。

     

    一つ問題として指摘できるのは、具体的な辞書の執筆に関わらなかった人の語法に関する研究発表の内容を辞書に反映されたと思われる例があったことです。研究発表された学術的発見を辞書に取り入れるのは、剽窃にあたるのか、研究発表されたものは共有の財産となるのか、難しい問題だと思います。辞書編纂における「剽窃」は永遠の課題かもしれません。私が辞書を作る時にも、英米の辞書から情報を得ているわけです。OED以降の辞書は、皆、OEDを参考にしているわけで、辞書編集者の勝手な言い分かもしれないけど、一旦言い出すと収拾がつかない。コウビルドが出典をずらっと上げているのは良心だと思います。

    (2023年10月11日加筆修正)

    先生は、英語語法文法学会4代目の会長(2004年〜2007年)を務められていますね。

    アンサーアイコン

    初代会長の小西先生の後、2代目は村田勇三郎先生(立教大学)、代目は児玉徳美先生(立命館大学)でした。ただ、お二人とも、語法研究を研究の中心には据えておらず、時折、語法研究をあまり高く評価しないような発言もあったので、私の番が回ってきた時には嬉しかったです。

     

    ただ、強調しておきたいのは、理論言語学や認知言語学を専門とする人も、たくさんこの学会に入会している事実です。なぜかというと、理論言語学を突き詰めて勉強していっても、英語そのものの理解が深まらない、英語を読めるようにはならない、ということがあるのではないかと思っています。。もう一つの理由は、生成文法研究は果てしのない道で、個別の研究を進めるためには語法研究をやらなくてはならない。それで、生成文法的な語法研究、認知言語学的な語法研究というものが盛んになってきています。僕がやってきたような語法研究をする人は少ないです。日大文理学部の吉良文孝さんがいらっしゃいますが。

    『英語年鑑』においては、堀内克明先生から引き継いで(「辞書・時事英語の研究」からタイトルが少し変わり)「語法・辞書の研究」を2011年から11年間ご担当されました。個々の研究業績を見ながら全体を概観される大変なお仕事だと思いますが、どのような方針を持ってお仕事に当たられていたのでしょうか。

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    結局読むことが好きなので、苦ではないんですよ。すべて「好きであること」が元でしょうね。原稿の締め切りが10月の終わりだったので、そこから逆算して、新刊や資料を集めて読み始めます。辞書が届いたら3日ほど読んでいたり。すべては「好き」であることが元にあると思います。最初の頃は、枚数的にも、論文の紹介は著者とタイトル程度だったのですが、これでは著者に失礼ではないかと思って、ある時、求められていたページ数の倍にあたる原稿を送ったんです。そうしたら問題なく掲載してもらえたので(笑)そこからその方針を続けています。論文は丁寧に読んでいます。楽しいですよ。読むことが好きですから。

  • 05.-

    辞書執筆・編集者に必要な資質

    辞書執筆者に必要な資質とはどのようなものでしょうか。

    アンサーアイコン

    読むのが好きなこと。辞書が好きなこと。読むのが好きでない人は辞書はできない。そして、職人になれる人。辞書編纂って学問なのかなぁ。以前、岩波の辞典編集部の方と話をしていて、その方が「辞書を作るのは職人ですからね。」と表現されていたので、岩波の方もそう認識されているんだな、と思いました。「辞書学」という言葉は、『広辞苑』の第版には載っていないんですよ。それもお伝えしたのですが、第版にも載っていない(笑)。そして、もう一つ大切なのは、書いてあることを疑う力です。「この記述は本当にあってるのかな。」と疑うことができるかどうか。

    辞書編集者に必要な資質とはどのようなものでしょうか。

    アンサーアイコン

    英語に関するあらゆる分野に通じていること。音声学、音韻論から始まって、すべてに通じていないといけない。そうでないと、おかしなことが書いてあっても見抜けないからです。ただ、すべてを知っているというわけにはいかないので、調べる術、方法を知らないといけないでしょう。そして、忍耐力、ですかね。

    先生は辞書編纂において中心的な役割を果たしながら、研究論文等も数多く発表されていて、どのように時間を作り出していたのでしょうか。

    アンサーアイコン

    時間は自分で作るもの。会議、会議とみんな言い訳して、忙しい、忙しい、っていうけど、「何が忙しいねん。」っていつも思います(笑)。関学に勤務した16年間は、通勤に片道2時間、往復4時間かかりました。それで、読書は専ら電車の中でしていました。時に没頭しすぎて、阪急の西宮北口から梅田に着いて、そのまま電車で途中まで引き返していたようなこともありました(笑)。

     

    『ユースプログレッシブ』の最終ゲラをすべて見直すのには1年かかりましたが、休みの日は、朝8時から夜12時までずっと見ていました。もちろん、食事もして風呂にも入りますよ。

     

    基本的に、年中無休です。学者はみな、年中無休じゃないのかな。大晦日と元日の朝は少しゆっくりするけれども、あとはパソコンに向かって仕事をしています。でも、寸暇を惜しむというほどでもないんですよ。大谷選手も24時間が野球で年中無休でしょ。何かを成し遂げた人を僕は尊敬します。そして、ああいう人になりたいな、って思います。僕は、安井稔先生のこと尊敬しているので、安井先生のようになりたいな、と思います。

    (八木先生ご自身は多数の論文もご発表されていますが)「辞書作りは、一般的には学問的業績として評価が低い。」(『斎藤さんの英和中辞典』p. 65)という事で、ご苦労されたことはありますか。

    アンサーアイコン

    辞書は、編集主幹、編集者、執筆者というヒエラルキーがあるわけですが、若い頃に編集主幹にはなれないわけで、一番業績をあげなくてはいけない年代の時に執筆者では、なかなか評価してもらえないでしょうね。たとえば、20枚の論文をあるテーマで書く、その内容を辞書に反映させるとなると行になるかならないかでしょうね。また、とある情報をを載せるか載せるべきでないか、散々調べて載せない、という判断をすることもあります。それならば、学会誌に論文を投稿する方がいいと考えても当然ですよね。

  • 06.-

    英和辞典の今後

    先生は「辞書=その時代のphilologicalな知識と研究の集大成」仰っていますが、「紙の」辞書の出版が厳しくなっている現在の状況をどのようにご覧になられていますか。

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    紙がいいねぇ。紙でないと読みにくい(笑)。時代の研究成果がわかりやすい形で保存される辞書がなくなってしまうのは心配ですが、時代の移り変わりでしかないのかな、と思います。僕はもう辞書の編纂からは引退しているから、改訂に携わることはないですけれど。電子化されると使うには便利なんだけど、読む、ということには適していないように思うんだけどね。コンサイス、ポケット英和、簡約英和、岩波英和辞典などは、全部読んでると思います。辞書編纂をする人は、辞書を「読む」という人でないと難しいと思いますが、今は、そういうのはもう要らないという時代でしょう。紙の辞書はもう作らなくていいでしょう、となると、コンテンツを誰が作るのかな、と思います。すでにあるものが無断に利用されて、著作権が曖昧になっていくのでしょうか。

     

    実は、10年くらい前から、1万語の英語基礎語彙辞典というのを企画しているのですが、出版社の辞書部に体力がなくなってしまって実現に至っていません。今の英和辞典には、学習者には要らないことがいっぱい書いてある。本当に基本的なことだけを例文から理解するような辞書を作りたかったんだけど、難しくなってしまいました。

02

07.-

インタビューを終えて

 八木先生とは、先生の愛弟子である井上亜依先生(東洋大学)とのご縁で、2009年、アジア辞書学会がバンコクで開催された時にお食事をご一緒させていただいくらいでした。先生の数多の書籍や論文等からは、英語教育を担う一教員としての責任感と情熱が感じられ、そして研究成果の社会への還元として、philological な研究の集大成として辞書編纂を位置付けていらっしゃるのだと感じていました。そして、私の中では「語法の人」であった八木先生ですが、今回、お話を伺って、もともとは小説が、読むことが、何よりお好きでいらっしゃることを知りました。本文では、多少削ってしまっていますが、「読むことが好き」というお言葉を先生は幾度となく繰り返されました。
 いつまでも現役で、今も午前中2時間、午後3時間は少なくとも机に向かい、スイミングとハイキングで健康管理も完璧な先生。「定年はいいものです。」と仰いながらも学問に対する情熱はまだまだ続き、これからも先生がご発表なさるものがとても楽しみです。すべては「好き」という気持ちから。私も自分の好きを大切にしていこうと思います。