坂本さんは辞書編集のお仕事を本当に愛していて、日本の辞書事情が改善されるのであれば、損得関係なく、研究活動にもご助力をくださる方で、それは三省堂を離れた後も変わらず、私も研究活動を助けていただいています。今回、お話を伺って、坂本さんが、文系希望で非常に優秀であると「入れるんだから東大法学部にしなよ」と言われる類の高校生であったことを知りました。私と接点のない高校生です(笑)器用でなんでも標準以上にできてしまうゆえの悩みがあったのかと思います。『ウィズダム英和辞典』の編集のお仕事は、知的好奇心が旺盛で、勤勉な坂本さんにとって運命のお仕事であったと理解しました。
非常に興味深いのは、corpus-driven の『ウィズダム」の編集でも、かなり重要な作業を人の手と目で確認をしなくてはならない編集段階が存在する、ということでした。そして、その膨大な作業を適切にこなすことができる編集者に求められるスキルについては、まだ明らかにされるべきことがあるような気がしています。
坂本淳
Jun SAKAMOTO- 1967年
高知県生まれ
- 1986年
土佐高等学校卒業
- 1992年
東京大学法学部第3類(政治コース)卒業
- 1996年
株式会社増進会出版社入社 通信教育事業部、株式会社ゼット会出版 書籍編集部
- 2005年
株式会社三省堂入社 辞書出版部 外国語辞書編集室、学参・教材出版部
- 2021年
株式会社ブルラッシュ設立
『ウィズダム英和辞典』第2版から編集者として編集に携わる。
現在は株式会社ブルラッシュ代表。
http://bulrush.co.jp
『ウィズダム英和辞典』第2版から編集者として編集に携わる。
現在は株式会社ブルラッシュ代表。
http://bulrush.co.jp
- 1967
高知県生まれ
- 1986
土佐高等学校卒業
- 1992
東京大学法学部第3類(政治コース)卒業
- 1996
株式会社増進会出版社入社 通信教育事業部、株式会社ゼット会出版 書籍編集部
- 2005
株式会社三省堂入社 辞書出版部 外国語辞書編集室、学参・教材出版部
- 2021
株式会社ブルラッシュ設立
Interview
インタビュー2022.03.31 実施
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01.-
辞書編集者になるまで
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坂本さんは法学部のご出身ですが、そこからどのようにして英和辞書の編纂に携わるようになったのでしょうか。
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私はバブル期最後に就職をした世代です。なかなか進路を決めきれずに学部に6年在籍しました。法曹に進む人は最初からそのつもりで、そうでなければ公務員、または金融関係に進む人が多かったのですが、そのどれにも適性を見出せずにいました。最終的には、メーカーに勤務をしました。半導体事業部の勤労第一課に配属され、人事の仕事をしていました。
1995年に1ドル80円台前半の円高が続き—一時は80円を切ったこともありましたね—輸出産業である半導体事業は大変な赤字となりました。経済の波に翻弄されることを実感する出来事でした。ただし、会社の業績が悪化したことは転職を考える直接の原因ではありません。
また、職務が海外勤務者の労務管理(給与計算)で、テキサスにあるアメリカの子会社との連絡をファックスで行っていました。必要な書類が届かない等、かなりのやり取りが必要だったのですが、時差があるので昼夜なく働く生活でした。当時は、分煙という意識など全くない時代でしたので、残業の時間帯は自席でたばこを吸う人が多くて環境は劣悪でした。今でいうパワハラも問題視されていませんでした。
そして、工場内には自衛消防隊の設置が義務付けられているのですが、若手はその役割を必ず担うことになっていました。夏に消防隊の訓練があり、大汗をかいた後、通常の勤務を行っていたら、熱を出し、翌日からの夏休みを棒に振る、ということがありました。そういったことが重なって、この仕事を続けていくのは体力的に非常に厳しいと判断して、3年半ほど勤めた後に、転職を決めました。
その後、一度、アパレル業界に足を踏み入れるも、合わないと判断して10日位で辞めました(笑)。それを見た妹が非常に心配をしてくれて、新聞広告で増進会の求人を見つけ、「これだったらお兄ちゃんも大丈夫じゃない?」と勧めてくれて(笑)1996年の2月に入社することになりました。
入社の時に、希望する教科を英語にしました。英語は、国語や社会と比べて競争率が高くないだろうと考えただけなのですが。最初は、通信添削の事業部に配属され、中学・高校の英語を担当していました。途中で部署編成が、中学、高校1、2年、高校3年(受験)とコース別に変わり、中学の新しいコースを立ち上げる時にプロジェクトのリーダーを務めました。その後、Z会出版書籍編集部に異動しました。そこで勤務している時に、三省堂にいた先輩—高校の先輩でもあり、大学の後輩でもあったので親しくしていました—が、『ウィズダム英和辞典』のための人員を募集しているという話を持ってきてくれて、受けてみたら運よく採用してもらいました。
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坂本さんは、大学受験時に英語も相当勉強されて、お出来になったと思いますが、英語や英語辞書への興味関心はどのように生じたのでしょうか。
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大学受験の時に、進研ゼミで勉強をしていたのですが、その冊子に色々と興味深い読み物がありました。その中でもとても印象に残っているのが、村上春樹のフィッツジェラルドの翻訳を取り上げて解説する、といったものでした。そういう勉強をしてみたいな、と思いながらも、結局は法学部に進学したのですが…(笑)。
『ウィズダム英和辞典』の初版が出たのは2002年の秋で(注:奥付では2003年1月出版になっているが実際は2002年の秋に出ている)、その時には通信添削の事業所にいたのですが、「すごい辞書が出たな。」と思っていました。その少し前から、辞書に対する興味は生じていて、南出康世先生の『英語の辞書と辞書学』(1998、大修館)を買って読み、辞書学という学問の存在を知りました。大修館の『英語教育』を部署で購読していたので、辞書に関する知識も少しずつ積み上げられていった感じです。
増進会出版でも、私自身は直接関わっていなかったのですが、『ワードパワー英英和辞典』(2002)が出版されました。自分の勤めている会社で辞書を出版できるのか、という驚きがありました。また、辞書を売るためには、どのように使ってもらうのか普及活動が必須である、ということで、社内で勉強会があり、知らない語を引くだけではなく、知っている語を引くことの重要性などを学びました。
また、三省堂の先輩に声をかけていただく以前から、神戸大学の石川慎一郎先生とご縁がありまして、やり取りをしていました。石川先生のお声がけで、2003年に明海大学で開催されたアジア辞書学会では、“Tools for vocabulary building—wordbooks and dictionaries in Japan” という発表をしました。『ウィズダム』が出た時も、石川先生のお名前があったので、「ここは間違っているのではないでしょうか。」というような問い合わせをしたこともありました。
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坂本さんは、基本的に勉強がお好きで得意だったのですね。かつ、言葉に対する感性が高かったのはやはり読書家だったのでしょうか。
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両親が読書家で、家を建てた時には、居間の壁二面くらいが作りつけの書棚でした。 文学作品が多かったですね。妹と二人で書名を言って、その本がどこにあるかを当てるというような遊び方をしていました(笑)。
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02.-
『ウィズダム英和辞典』の編纂
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『ウィズダム英和辞典』は、日本の出版社がまだどこも取り組んでいなかったコーパスを本格的に活用した辞書編纂を実現するという大きなプロジェクトだったかと思いますが、社内では最初どのように位置付けられていたのでしょうか。
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2005年に三省堂に入社した時には、『ウィズダム英和辞典』の第二版の改訂作業中で、これから再校を回し始める、という頃だったかと思います。ウィズダムのコーパスは出来ていて、基本的には初版と同じコーパスを使って改訂作業を行なっていました。
当時、三省堂の英和辞典は、学習物のブランド力が今ひとつ弱く、トップを取れていない、一般向けの『コンサイス英和辞典』、『グランドコンサイス英和辞典』、『エクシード英和辞典』などの売り上げが段々落ちてきていて、学習英和辞典でシェアを取っていかなくてはならない、という状況でした。ですので、『ウィズダム』をトップブランドに育てるために、社の「プロジェクト」として、様々な部署から人が参加して、どうすればよいか話し合っていました。
市場の話をすると、成長市場ではなく、縮小していく市場を取り合う、という状況ではありました。研究社がかつてはトップであったところから、『ジーニアス英和辞典』がトップを取り、その後ずっとトップの座にいました。
三省堂は昔から、複数のブランドを作っては潰し、ということを繰り返していたところがあります。『新グローバル英和辞典』を、最上級者向けのブランドとして持ってはいたのですが、売れ行きがあまり芳しくなかったことと、継承者の問題があり、新しいブランドで勝負をしてトップを取ろう、という雰囲気でした。
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編者の赤野先生が、ここまで大幅の改訂を許してくれる辞典もなかなかないのでは、と仰っていましたが、その点についてはいかがでしょうか。
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実務的には、どちらでもありうるとは思っていますが、当然ながら変えない方が楽ではあります(笑)。初版の時に、比較的若かった先生方が、研究者として成長されていくのと、辞書が辞書として成長していくのと、成長曲線がうまくマッチしていたように思います。初版の時点では、辞書に関わるのが初めて、という方が多かったので、困難を極めたとは聞いています。
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Word-Wise Web に WISDOM in Depthの連載を提案したのは編集部なのでしょうか。結果のみならず過程を共有する、ということが一般的になっている現在の潮流を先取りするような形だったかと思います。
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2008年にWord-Wise Webという形にリニューアルしました。かつては紙で『三省堂ぶっくれっと』というPR誌1を出していましたが、それに代えたものです。ウェブ空間の中での各書名の存在感を高めるために、関連した読み物を掲載し、掘り下げた話を書いてもらうことを考えました。リニューアルしたばかりの頃、『クラウン独和辞典』の先生方が面白がってくださって、予定以上にたくさん書いてくださったこともありました。現在、色々な出版社が note を使って発信をしていますが、コンセプトとしては、その先駆けと言えるのではないかと思います。
僕は、広告を掲載したら収入の足しになるのではないかと考えていたのですが、結局はあまり取り合ってもらえなかったですね(笑)。辞書では広告は取ることができない、というのが当時の一般的な認識で、ウェブ・ディクショナリーで広告掲載を試したことがあるようなのですが、全くクリックしてもらえなかったそうです(笑)。
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03.-
辞書のデザイン・紙面について
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辞書のカバーデザインは一般的にどのように決定するのでしょうか。
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『ウィズダム』は、初版以来、コンペで行っています。候補に上がったデザインを営業部と編集部が合同で検討し、多数決というよりは、話し合う中でなんとなく収斂していく感じです。また、カバーの色に関しては、三省堂は、英和は赤、和英は青、その他合本などは緑、と決まっています。旺文社は反対ですね。
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読みやすい紙面構成についてはどのような要素を考慮して決定されるのでしょうか。私は研究社の英和中辞典の世代で、研究社の辞書の紙面がとても読みやすくて好きなのですが、ウィズダムの紙面も見やすいと感じます。
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研究社の辞書の紙面は本当に美しいと思います。でも、研究社印刷は廃業してしまうんですよね。先日、研究社から組版を受注していたという会社に見積もりを取ったら価格がとても高かったです(笑)。
辞書のデザインは外と中で同じ人にお願いすることが多いのですが、『ウィズダム英和辞典』の場合は、初版の時に、紙面設計を高名なデザイナーである太田徹也先生にお願いをしました。太田先生は、写真家石元泰博氏の作品集『桂離宮』のデザインなどで高い評価を受けています。太田先生のおかげでかなりしっかりした紙面になっていると思います。その後も、初版で作ったデザインを踏襲しつつ微調整しています。和文は、基本的に三省堂の書体を用いています。
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2022年3月31日をもって廃業。
- -3 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/太田徹也
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三省堂は自社の印刷所(三省堂印刷株式会社 1889年創業)を所有されていますが、辞書編纂において他社よりも強みになる点はありますか。
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メリットとデメリットと両方あります。まず、デメリットはコスト面です。印刷所を持っていない出版社は、複数の印刷会社から相見積もりを取って最も安いところに決めることができますが、それがありませんから、コストは高くなる可能性があります。次に、生産能力の問題があって、かなり前からスケジュールを押さえておかないといけません。通常、校了から書籍を取り次ぎに搬入するまでは1ヶ月もあれば十分なのですが、印刷機のスケジュールが混み合っていると、校了の時期が、かなり前倒しになります。『ウィズダム』の場合ですと、和英は英和よりも早く校了とせざるを得ず、辛かったですね。国語辞典の印刷も入るとなると非常に大変でした。一方、メリットは、その高い技術です。辞書の薄紙に輪転で印刷するというのは、なかなか他ではできないことなので、この点に関しては絶対的な強みと言えるでしょう。
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04.-
辞書編集者の育成・辞書編集者に必要な資質
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三省堂ではどのように辞書編集のスキルを身に付けられたのでしょうか。
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辞書編集者向けのいわゆるマニュアルのようなものは見たことがありません。先輩方が入れた赤を見て、見よう見真似で覚えました。また、校正者による赤字がゲラに反映されているかどうかをチェックするわけですが、その時に、なるほど、こういった点を間違えやすいのか、と感覚を養っていったように思います。「怪しい」と思ったら、必ず他の辞書を確認していましたが、怪しいと思えるかどうか、については、そこはやはり感覚になるのでしょうか。
記述内容というよりは、まず形式が合っているかどうかをチェックします。例えば、共起要素の記述が正しい位置にあるかどうかをチェックすると、その過程で内容に関することが目についてくる、ということがあります。形式が崩れていると内容に問題がある場合がある、と言えるかもしれません。原稿の本体はテキストファイルなので、ある誤りを見付けた時には、同様の誤りがないかどうか検索をかけて確認をし、修正をする、ということもしました。
マニュアルがないのは、マニュアル化できない、ということもありますが、誤りのパタンを類型化してしまうと、誤りを見逃すことにつながる、ということもあると思います。
辞書の編集で、もっとも避けなければならないのは、項目の位置が違うということです。例えば、改訂の際に、派生語の扱いが変わるような場合—前の版では追い込み見出しであったものが、主見出しになる—に、アルファベット順が崩れやすいのです。本当はそういうことを、コンピュータで処理できればいいのですが、欧文と和文が混ざっている辞書のテキストにおいては、それがなかなか難しいという現状があります。
もちろん、見出し語を並び替えるまではコンピュータでできますが、見出し語のリストとゲラを照合するのは、人間がすることになります。
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紆余曲折があり、最終的に辿り着いた辞書編集者の仕事は、坂本さんの肌に合っていたのだと思いますが、具体的にはどのような資質が辞書編集には必要であるとお考えになりますか。
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関心の幅が広いことだと思います。辞書は本当に何でも取り扱い、かつ、一つ一つの記述が短いので、飽きっぽい私にもできました。辞書は、和英の場合でしたら、「たらい」の下に「ダライラマ」がくる(笑)、というある意味何の脈絡もない世界ですので、面白いですよね。気分転換にもなります。
次に、集中力があること、そしてそれを持続できる力だと思います。他の書籍とは一段異なるレベルで集中力が要求されるように思います。辞書一冊、全ページ、最初から最後までクオリティを均一に保つことが非常に重要だからです。
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坂本さんは『デイリーコンサイス英和辞典 第8版』三省堂編修所編等、三省堂編修所編という辞書に関わっていらっしゃいますが、三省堂編修所や坂本さんが果たした役割について教えてください。
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三省堂編修所は、昔は実際に部署として存在したのですが、現在は編集を行う部署にその機能が存在します。私が担当した『デイリーコンサイス英和辞典』であれば、編集者が執筆し、編集作業を行います。その辞書が対象とする使用者を念頭に、見出し語リストを作成する際、私の場合は、『ウィズダム』の編集で得た知識、経験が礎になっていたと思います。
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辞書編集者として過ごされた間に(英和)辞書を取り巻く環境は大きく変化したと思いますが、坂本さんは今後の(英和)辞書出版はどのような方向に向かうとお考えでしょうか。
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年齢的にも、市場の状況からも、「辞書編集に携われる最後のチャンス」と考えて三省堂に入社し、10年少々辞書の編集を行いました。紙の辞書をこれまでのように改訂し、出版することは難しいと思います。今後の辞書は、ウィキペディアの在り方が参考になるかもしれません。人気、需要のある項目は記述が長く、充実することがあってもよいのではないかと思います。
ただし、きちんとした編集の入った情報を提供することは重要で、新語については、補遺的にまとめて提供しやすいと思いますが、既に存在する語の意味の変化や新しい使われ方については、より問題が大きいと思います。また、用語集のような形で専門分野に特化した、細分化した形で、辞書が出版されるようになるのではないかと思います。
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05.-
インタビューを終えて