清水先生には院生の時から公私共にかわいがっていただいています。音声学をしっかりと学ばなかった私は竹林先生に「君、ことばというのは音から始まるのだから、音声をきちんと学ばずに英語の研究をするなんて、土台のない家を建てるようなものだ。」と言われていました。ですので、発音表記についてお話を聞くことをどう考えても避けて通れない…となった時に、私の実力もダメさもご存知の清水先生に最初に…と完全に甘えた形です。
辞書編纂に向いている人物像が、かつては「専業主婦のいる大学の専任教員(男性)であることが理想」であったというのは、清水先生ご自身の大変なご苦労が伺えるご指摘です。偉大なる辞書編纂者の伝記などを読んでも、24時間辞書のことを考えている、といった感じで「家のこと」は完全にお連れ合いの仕事だったことが伺えます。主だった学習英和辞典の編集主幹はみな男性です。ワークライフバランスという言葉など存在しなかった時代、と言ってしまえばそれまでですが、語られるべきで語られていないことがそこにたくさんあるように感じます。
発音は、地域差も個人差も激しく、他の要素と比べると変化しやすいゆえに、辞書、特に学習辞書において、どのように扱うかが非常に困難で、学校教育とも切って離せないことを痛感しました。そしてオンライン辞書等で実際の音声を聞くことができるようになっても、実はその根本的な問題が解決されるわけではないことも、改めて認識しました。
清水あつ子
Atsuko SHIMIZU- 1948年
東京都生まれ
- 1970年
東京外国語大学英米語学科卒業
- 1974年
東京外国語大学外国語学研究科ゲルマン系言語専攻修士課程修了
- 1997年
いわき明星大学教授
- 1999年
明治大学文学部教授(2018年 名誉教授)
『ライトハウス英和辞典』ほか複数の英和辞典の執筆に携わる。特に、発音表記をご担当される。
『ライトハウス英和辞典』ほか複数の英和辞典の執筆に携わる。特に、発音表記をご担当される。
- 1948
東京都生まれ
- 1970
東京外国語大学英米語学科卒業
- 1974
東京外国語大学外国語学研究科ゲルマン系言語専攻修士課程修了
- 1997
いわき明星大学教授
- 1999
明治大学文学部教授(2018年 名誉教授)
Interview
インタビュー2021.10.10 実施
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01.-
辞書編集者になるまで
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英語に興味を持たれたきっかけを教えてください。
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英語は中学入学前に勉強したことはありませんでしたが、中学校(東京学芸大附属世田谷中学校)で初めて出会った先生がとても優秀で、教え方も自分の性に合っていたことから好きになれたのだと思います。東京女子大学ご出身の先生で、戦後の進駐軍の通訳をされたご経験もおありだったので、当時の一般的な英語の先生よりも発音もよかったと思います。毎回、復習として先生の読み上げでディクテーションを行なっていたので、その対策として、教科書をぶつぶつと声に出しながら読み、書き、丸暗記していました。その積み重ねの効果は高く、今、振り返っても良い指導法だったのではないかと思います。週に5回は英語の授業があった時代で、先生もよかったことから、英語が好きになりました。発音記号も一通り教わりましたが、それは今と違って時間があったからでしょうね。
高校でも良い先生に恵まれました。東京大学文学部で言語学を修めた方で、話がとても面白かったことを覚えています。
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英語がお好きで得意でいらしたから、大学で英語を専攻することに決めたのも自然な流れだったのでしょうか。
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そうですね。また、東京外国語大学の英米科を選んだのは、英語が好きだったこともありますが、どうせなら一番難しい専攻に挑戦しようという気持ちもありました。お茶の水女子大学の英文科にも合格しましたが、東京外大に決めたのは当時の「雰囲気」ですね(笑)
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そして、外大で竹林滋先生との運命的な出会いがあるわけですが、どのようにして竹林先生の音声学ゼミを選ぶに至ったのでしょうか。
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1年次に一生懸命勉強をした結果、2年次に3・4年次割り当て科目を1つ履修することができました。その時に竹林先生の「音声学概論」を選んだのが、先生との出会いです。授業の成績が良かったようで、先生からゼミに来ないか、と声をかけていただいたのがきっかけです。
一方、子どもの頃からかなりの量の文学作品を読んでいた文学少女でもあったので、最初から言語学を専攻することを決めていたわけではありませんでした。シェークスピアを訳してもいた安藤一郎先生の「文学論」の授業もとても面白かったですし、良い評価もいただきました。安藤先生は詩人でもいらしたので、小説でも詩でも何でもいいから—自分の失恋の話でもいいから—作品を創作する、という夏休みの課題を出されたことがありました。その課題を、今思えば深刻に捉えすぎて「私には書けない。」「書かない人間が文学をやってもいいのだろうか。」と思い詰めてしまったり、文学のレポート課題などでは、あることばを取り出して「これは◯◯を象徴している。」とか、ある音の連続が与える印象などを、それらしく述べると良い評価がついてきて、そのことをとても虚しく感じてしまったり—かわいくないわね(笑)—ということがありました。
文学は好きだったのですが、私には文学をする資格がないと思ってしまったことと、竹林先生からお誘いを受けた、ということが相まって、音声学の道に進むことになりました。
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竹林ゼミではどのようことをなさっていましたか。
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当時の新しい文献、グリースンやブルームフィールドですが、を輪読して、パラグラフを抄訳していました。それに対して先生がコメントをされました。音声学のゼミなので様々な言語を専攻する学生がいました。
けれども、3年生(1968年)の夏休み明けの前期試験が実施されないまま、大学紛争で1年間大学が封鎖されました。おそらく、その頃に竹林先生からちょっと辞書の仕事をしてみないかと言われたのだと思います。一緒に研究社に行って、当時先生が準備されていたのは『ユニオン英和』かと思いますが、発音の表記体系を教えていただき、実際に発音記号を書いて、指導を受けました。そのようにして、発音表記の辞書原稿を大学3年生で書くようになりました。
また、大学で授業のなかったちょうどその頃、岩崎研究会にも入れていただき、本駒込にあった岩崎先生のご自宅に伺っていました。
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そのような混乱の中、卒業論文はどのようなテーマでどのように取り組まれたのでしょうか。
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1年間授業はありませんでしたが、卒業が1年延期されるわけではなかったので、悲惨なことになりました(笑)。私の計画としては、大学3年生の時にできるだけ単位を取得して、4年生の時には、教育実習と卒論と院試の準備、と考えていました。ところが、69年の秋に行われた68年度の単位認定は、半年間しか授業がなかったので半期分の単位しか認定されないわけです。そのため、68年の後期分の単位全てを取り、卒論を書き、教育実習へ行き、大学院を受けてということを69年の後期、半年で行うこととなりました。
卒論は、綴り字を基にした発音表記、というテーマで書きました。大正のはじめにIPAが導入され、その後英語教育はIPA一色になってしまったけれども、フォニックス表記の方が英語学習には良い、というコンセプトのもと、当時の主な中学校の検定教科書(3社)に出てくる単語を全て調べ、基本的なフォニックスの規則でどの程度記述が可能であるかを検証しました。結論としては、中学校レベルで例外的な単語はほとんどなく、綴字を基にした説明が可能なため、新出語への応用が効くフォニックス表記を学習する方が良い、とまとめました。
その後、大学院に進学し、1973年〜76年の間、岩崎研究会のLexiconに、実例を中心とした「英語の綴り字による発音表記方式」という論文を竹林先生と共著で3回に分けて発表しました。
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02.-
『ライトハウス英和辞典』の発音表記について
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『ライトハウス英和辞典』における発音表記の考え方や特徴について教えてください。
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基本的には、一般的なアメリカ発音を、ただし、ロウティック(rhotic)—母音の後の/r/が響くかどうか—に関しては厳密に英米を区別して記述をしていました。1984年の『ライトハウス英和辞典』では、鉤つきのシュワー(hooked schwa)と普通のシュワーを用いて、アメリカ発音とイギリス発音の違いを書き分けていました。
実際の発音を記述式に示すのか、あるいは日本の英語教育における規範—私は「公序良俗」と呼んでいるのですが(笑)—を取るのかは、大きな問題です。たとえば、1984年当時には、father の母音はhotなどの母音と区別がないということが既に分かっていたのですが、それを反映させるのかどうか。また、cot-caught merger と言うのですが、catchの過去形caught/kɔːt/をcot /kɑːt/と同じように発音する人が、アメリカでは地域的に4分の3程度存在しますが、その現実を今の英語教育に持ち込んだら大混乱ですよね。
Hotの母音もアメリカ発音では長いので/hɑt/よりも/hɑːt/がふさわしいのですが、それをそのまま記述するのはなかなかに勇気が要ります。『ジーニアス英和辞典』(第5版)は現実を反映して、長音符に括弧を付けていませんね。『コンパスローズ英和辞典』では括弧に入れて長音符を付けています。
そして、竹林先生が40代の頃ではないかと思いますが、『岩波英和大辞典』(1970)の発音表記を担当された時に、初めて音素表記に斜め括弧(/ /)を用いたら、現場から「なんだこれは。」という反応が返ってきたと笑っていました。今は辞書は斜め括弧で表記するようになりましたけれど、中高の教科書は相変わらず角括弧([ ])ですね。 本来、音素は斜め括弧、角括弧は細かな音声を表すためのものであり、たとえば角括弧の[r] は顫動音、つまり巻き舌の ‘r’ を表すので、接近音である英語の ‘r’ とはかけ離れた音になってしまうのですが、なかなか変わらないですね。『ライトハウス』も初版(1984)は角括弧ですが、第2版から斜め括弧になっています。
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『ライトハウス英和』の第2版(1990)におけるフォニックス(4千語に導入)の導入について、また現場からの反応について教えてください。
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辞書に対する反応についてではありませんが、1991年、92年ライトハウスの高校生の英語教科書(LIGHTHOUSE English I, LIGHTHOUSE English II)でも、IPAと併記でフォニックス表記を全てつけることをしました。そして、ティーチャーズ・マニュアルにかなり克明なフォニックスの解説を書きました。
研究社の営業の方が教科書のサンプルを持って、あちらこちらと地方を回られるわけですが、高校の先生から「両方教えないといけないのか。」という反応を示される、と伺ったことがあります。評判はあまりよくなかったのだと思います。一度、IPAが広まってしまった後、その状況を変えることがどうにも難しいようです。
新しい単語が出て来る度に、IPAをせっせと書き写して発音を覚えようと努力をする真面目な生徒もいるかと思いますが、それは場当たり式で、似たような単語が出てきてもどのように発音すればよいかが分からない、ということになってしまいます。ですので、フォニックスを教える方がずっと効率的、効果的だと思うのですが。
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03.-
学習英和辞典における発音情報の提供について
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現在の学習英和辞典においては、発音記号(IPA)、カタカナ、音声など多様な発音の示し方がありますが、いかがお考えになりますか。
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これはもう分かりません(笑)。竹林先生は「カタカナ表記の辞書など絶対にやるな。」と仰っていたので私は携わったことがありませんが、辞書における発音のカタカナ表記の比較などはしてきました。一つはっきり言えることは、論理的に無理がある、ということです。それでも、涙ぐましい努力をしてなんとか違いを表現しようとする—たとえば/l/と/r/をカタカナとひらがなで書き分けるとか、/r/には小さな「ゥ」を入れてrightを「ゥライト」のようにするとか。語頭の場合には小さな「ゥ」があることが発音の助けにはなると思いますが、語中だとおかしなことになってしまったり。けれども、hat、hut、hotが全て「ハット」になってしまうこともあり、やはりどうしても限界があります。ただし、先生も発音指導ができない、英語の授業時間数自体が少ない、となれば、カタカナ表記を併記するのも仕方がない、という流れに今はなっています。
また、検定教科書の審査会に3年前まで出ていましたが、カタカナとIPAを併記した教科書はたくさん出ていました。カタカナ表記が「助けになる」と謳っているわけですが、現実問題として仕方がないのかもしれません。
少し話が逸れるかもしれませんが、/l/と/r/が正しく発音できないとコミュニケーションが成立しないか、というと、人間は文脈などそれ以外のことで判断をしているので、カタカナ仕込みでもリズムとアクセントが正しければ通じるかもしれませんよね。個別音を正しく発音する、ということがどれだけ必須のものなのか。アイスクリーム屋さんに行って、「バニラ」と母音や子音は全てカタカナの発音でもアクセントを正しい位置に置いて「ニ」を強くすれば、おそらく通じるので、カタカナ表記を補助として掲載することに対して、めくじらを立てるべきか、ということについては、私は分からない、と思っています。でも、やりたくはないですね(笑)。
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私自身が英語を教えていて思うのですが、読めるはずのカタカナ表記を与えられても、本来の音を知らないと発音ができなかったり、電子辞書の読み上げ音声があっても、繰り返すことができなかったりする場面に出会います。それぞれ発音表記としての独立性が低いのかもしれない、と感じますが先生はどのようにお考えになりますか。
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それでいうと、実は、フォニックスも、英語を母語として身につけていく場合は、頭の中に音と指示物となるモノがあり、そこに文字が結びつくのに対して、外国語として学ぶ場合はそうではないので、同じとは言えないですね。
また、電子辞書の音声を、どのように聞き取っているか、また聞き取れたからといって再現できるかは別の話です。似たような口真似はしやすいので、アクセント型については、より効果的になるかもしれませんね。
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発音表記って本当に難しいですね…。
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結局、英語学習者が何を目指すのか、どのような場面で通じるようにしたいのか、どのレベルを目指すのか、ということに関わってくるのだと思います。ジェニファー・ジェンキンスの言う「国際英語における最低限とは何か」という問題と繋がっていくと思います。ただし、商業ベースの辞書としては、最大公約数が必要になるでしょう。
『ライトハウス』やその前身の『ユニオン』の時代とは大分変わってきましたよね。何しろ、その頃は英語なんてほとんど流れていなかったのに対して、今は様々な英語が氾濫している状態ですから。
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発音の執筆でもっとも苦労される点は何でしょうか。
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表記の方針を決めてしまえば、それに則ってひたすら執筆をするだけですが、英語圏における現状と、英語教育界における現状のギャップをどのくらい縮めるのか、縮められるのか、ということでしょうか。1つ1つの単語ではなく、音素単位で最初のルール決定をどうするのかを決めるのが大変かもしれません。『ジーニアス英和辞典』がhotを/hɑːt/と表記することに決めるには、議論をかなり重ねられたのではないかと推察します。『コンパスローズ英和辞典』ではまだ括弧付きなのも、どれくらい歩み寄るべきか、どれくらい歩み寄れるのか、を考慮した結果だと思います。
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1つ1つの単語で考えるのではなく、ということですが、頻度の高い語と頻度の低い語の間には、発音変化に差があったりしないのでしょうか。その辺りはどのように対応するのでしょうか。
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言語変化が進行中のものについては、言語調査の結果を参考にします。同じ人の中でも、単語により、場面により発音が変わることもありますし、単語によって変化が起こるものと起こらないものがあるのは歴史的に見ても枚挙にいとまがありません。言語調査で確実になっている変化は、できるだけ辞書に反映をしたい、どこまで反映できるかについては慎重な検討が必要となります。
また、発音の最新の状況を反映しないとコミュニケーションが成立しないのかどうか、という問題もありますよね。保守的な発音をしても十分に通じるのであれば問題はないわけです。しかしながら、米国国内においても、母音の発音が異なることによって、意思の疎通に若干の影響が出ることもあるわけです。バランスが大切だと思います。
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電子辞書やオンライン辞書では、音声で発音情報を提供することができる時代になりましたが、このアプローチについてはどのようにお考えになりますか。
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LDOCE やOALD は最初にCD-ROM、次にインターネット上で発音を聞けるようにしましたが、辞書の記述と吹き込み者の発音が異なることがよくあります。その現象自体は社会言語学的には面白いのですが、辞書記述としては問題がないとは言えないですね。たとえば、sureの発音は、イギリスの標準発音として/ʃɔː(r)/が認められ、そのように表記されているにも関わらず/ʃʊə(r)/と発音されている、といったようなことです。
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Englishes の時代における学習英和辞典における発音表記はとても難しい問題と思いますが、先生はその点に関してどのようにお考えになりますか。
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英国の社会言語学者、ジェニファー・ジェンキンズが「リンガフランカ・コア(Lingua Franca Core)」という概念を2000年に提唱しています。そこで、発音についても、何ができないといけないのか、何ができなくてもいいのか、ということを打ち立てています。1990年代に、世界各国から集まってくる英語学校の生徒たちの会話から、発音が原因で意思疎通ができないケースを集めて分析をしています。たとえば、th の発音/θ//ð/はできなくても困ることはない、その発音が /s/ あるいは /t/ 、 /z/ あるいは/d/でも、情報の伝達には影響がない。母音も、その人なりの一貫性があれば、多少ズレていても聞き手が慣れるに従って意思疎通が可能になる。それに対して子音は、/p//k//t/ などの無声閉鎖音は、アスピレーションがあるかないかで、/p/ が /b/ と聞こえたりすることがあり、意思疎通に影響を及ぼす、ということが言われています。この提言から20年が経つので、これを土台として様々な検証が進んでいます。
これは、英語学習者が何を目指すのか、という問題と関わっていて、「通じればいい」を出発点とするのかどうかと関連します。ノン・ネイティヴスピーカーの発音の評価をどのような基準にするのか、ということについては、ギムスンが「その話者が話をしたい相手によって評価されるべきである。」と言っています。たとえば、その話者が英国の上流階級の人間と話をしようと思うのであれば、その人の発音を聞いて、上流階級の人たちがどう思うか、それがその人の発音に対する評価であると。同様に、コックニーを話す人と話をしたいのであれば、その人たちがどのように思うか。つまり、その人の発音が、とある国[地域]の標準発音とされるものと同じかどうかということではなく、話しをする相手によって評価をされるのだ、ということです。
これは正論なのですが、非英語圏である日本における英語教育においてはどうすべきなのか、という解決にはつながりません。そこで、やはり(一昔前の)無難なところで英米(いずれか)の標準的とされる発音を教えるべき、辞書にもそれを記載すべき、ということになるのでしょうね。
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04.-
辞書執筆者の資質について
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執筆者、そして校閲者としてのお立場から長年辞書編纂に携わってこられて、先生がこの仕事に携わる上で(より)重要と考える資質について教えてください。
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発音記述に関して言えば、英語圏で現在進行中のトレンドを見据えた上で、何を反映させるか、何を反映させないか、という大極的な判断ができる人が編者にならないといけないでしょう。執筆者については、その辞書の大原則を頭に入れて、矛盾のない執筆ができることが大切かと思います。
私たちが丁稚の頃は、英米の辞書を机の周り中において、この発音を標準と判断して良いかどうか、ということを逐一確認しながら執筆をしていました。Consistencyを常に意識していないといけませんので、気まぐれな人は向かないでしょう。
また、昔は、粛々と執筆ができる環境、それはつまり、専業主婦のいる大学の専任教員(男性)であることが理想だと言われたものです。最低限の授業をし、最低限の校務をし、残りの時間を全て執筆に当てられる人が辞書に向いている、と。今は、全く時代が変わって、辞書の仕事は編者ならともかく、執筆者くらいでは、採用、昇進時に研究業績として評価されませんし、校務の大変さも比べものになりません。竹林先生の晩年においては、今の事情をお伝えして、若い研究者をこき使いすぎないように諌めていましたよ(笑)。
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05.-
インタビューを終えて