川村君には、本文中にもあるように、飯田橋のロイヤルホストで「これから辞書をやりたいということなのでよろしく」と赤須薫先生からご紹介をいただいて出会いました。同世代ということで岩崎研究会の Newsletter の編集委員を一緒に務めたりしましたが、私は基本的にPC、そしてその後 ICT 関連は、「猿でもできる」段階までテクノロジーが進化してから手をつける人間なので、川村君が誌面構成を担当してくれていました。当時は先生方から手書きのまたはワープロ原稿が郵送されてきて、それを入力して(ここは私でもできた)データを川村君に渡していたように思います。まだ、何かあれば顔を合わせて直接コミュニケーションを取ることが多かったので、色々な話をしたはずですが、悲しいことにあまり覚えていないのと、覚えているのはここに書くのは相応しくないこと(笑)だったりします。
今回、ご研究を中心にまとまったお話を伺うことができ、2つ印象に残ったことがあります。1つ目は、人生の大きな節目節目に赤須先生が全力でサポートされて、現在の川村君がいることを知ったこと。2つ目は、プラネットボードの大規模調査から始まり、実際に辞書に語用論情報を執筆し続ける中で、語用論と辞書の関係についての考えが変わってきているというお話です。辞書に何かが記載されれば、作り手の意図とは無関係にそれは規範として独り歩きを始める、ということを考えた時に、語用論的情報の扱いは非常に困難になることについてこれまで突き詰めて考えたことがなったので、博論でテーマとして扱うこと自体がチャレンジだったというお話からすべてがとても勉強になりました。
川村 晶彦
Akihiko KAWAMURA- 1970年
福島県生まれ
- 1993年
東洋大学文学部英米文学科 卒業
- 2000年
英国エクセター大学大学院英語研究科辞書学専攻修士課程 修了
- 2002年
東京外国語大学大学院地域文化研究科国際交流専修コース博士前期課程 修了
- 2005年
成城大学社会イノベーション学部心理社会学科 専任講師(2008 准教授、2015 教授)
- 2009年
ウォリック大学応用言語学研究所客員研究員(~2010年)
- 2014年
英国バーミンガム大学大学院 英語研究科応用言語学専攻博士課程 修了
『レクシス英和辞典』(2002)、『コアレックス英和辞典』(2005, 2011)、『ビーコン英和辞典』(2016)など複数の学習英和辞典に携わる。特に、語用論情報のコラムを執筆。

『レクシス英和辞典』(2002)、『コアレックス英和辞典』(2005, 2011)、『ビーコン英和辞典』(2016)など複数の学習英和辞典に携わる。特に、語用論情報のコラムを執筆。
- 1970
福島県生まれ
- 1993
東洋大学文学部英米文学科 卒業
- 2000
英国エクセター大学大学院英語研究科辞書学専攻修士課程 修了
- 2002
東京外国語大学大学院地域文化研究科国際交流専修コース博士前期課程 修了
- 2005
成城大学社会イノベーション学部心理社会学科 専任講師(2008 准教授、2015 教授)
- 2009
ウォリック大学応用言語学研究所客員研究員(~2010年)
- 2014
英国バーミンガム大学大学院 英語研究科応用言語学専攻博士課程 修了

Interview
インタビュー2025.03.25 実施
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01.-
辞書編纂に携わるまで
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英語との出会いについて教えてください。
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普通に中学校で英語を学び始めました。小学校でローマ字くらいは勉強していましたが、特別に興味もなくて。青森の田舎の公立中学校で、特に印象に残っている先生もいません。ただ、英語に関してはあまり努力をせずとも割とできたんですよ。
高校では、印象に残っている先生が3人ほどいます。まず、新卒の先生で発音がものすごく下手くそで(笑)例文もセンスがないんです。I miss sashimi. わたしは刺し身が食べられなくてさみしい、とか。それで最初は、英語つまんないな、って思ってました。でも、羽場先生という日本女子大学の大学院を出た非常に熱心な先生が質問にも真摯に回答してくれて、受験期には毎日和訳を添削してくれたりしました。もう一人、社会人から教員へと転職された清水先生という先生がいて、とにかく褒めてくれる先生として印象に残っています。この二人の先生が、僕に、英語の才能があるから英語を勉強したらいいよと勧めてくれました。
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毎日英作文や和訳に取り組んでいたということは英語の辞書をかなり使っていたのではないでしょうか。
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それが『ライトハウス英和辞典』だけなんです。初版です。当時の八戸では、トップの高校は研究社の『英和中辞典』を、二番手くらいの高校が説明の詳しい『ライトハウス英和辞典』を採用していました。基本的に生徒は全員購入することになっていたと思います。大学に入ってからもずっと使っていました。あの頃は、辞書を買い換える必要があるなんてことも考えていなくて。前付けに赤須先生のお名前があって、先生にそのことをお話した記憶があります。
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文学部への進学を決めたのは、英語が得意だったからですか。
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英語だけでなく、小説も好きで翻訳家になりたいと思っていたからです。小説は何でも読みましたが、特に推理小説が好きで、海外のものではアガサ・クリスティやシャーロック・ホームズ、日本のものでは江戸川乱歩、横溝正史、西村京太郎、赤川次郎などを読んでいました。父親は文学部はだめ、経済学部や法学部などでいわゆる実学を勉強するのでなければ学費は出さないと言っていました。ただし、最終的にはいかせてくれたので感謝しています。
僕はその後結局、アメリカ文学を勉強した後に辞書に関わっていくのですが、母方の曽祖父がまさに同じような人生を歩んだということを母から聞いて知りました。曽祖父は、戦争で両親を失い、その後ロシア人の宣教師に育てられたそうです。それでロシア語ができたのでロシア文学を勉強していて、その後日本で最初の朝鮮語の辞書 — 辞書と言っても私本だと思うのですが — を作って、晩年は家族を連れて韓国に移住して研究を続けたそうです。ですから母は韓国で生まれているんです。奇しくも外国文学から辞書、という流れが同じで興味深いです。
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東洋大学の文学部に入学されて、そこで赤須薫先生と出会って辞書の道に入られたのですよね。
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赤須先生との出会いは、学部の2年生の授業だったと思うのですが、単位を落としています(笑)。選択必修の授業でたまたま赤須先生に割り振られました。「なんで僕は落ちたんですか。」と聞いたら「試験ができてなかったから。」と。ある程度出席していたと思うのですが。
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赤須先生との最初の出会いは劇的なものとはならず、当初の予定通り文学を専攻されたのですね。
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学生には聞かせられませんが、厳しいと評判の先生は避けて(笑)アメリカ文学のゼミで、『大草原の小さな家』について卒論を書きました。児童文学について考えるとき、親が読ませたいものと子供が読みたいものの間には乖離があるのではないかと感じたからです。子どもの頃、NHKで同作品が原作のドラマが放映されていましたが、正直あんまり面白くない。親子関係含めてすべてがどうにもきれいごとに感じました。ただし、そう感じるのは、現代社会で失われつつあるもの、理想的な姿を求めているからなのではないかというようなことを卒論で論じました。白人至上主義的であくまでも人間が自然を征服するもの、という見方が見え隠れする点も気になりました。
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そこからどのようにして赤須先生から辞書学の薫陶を受けるに至ったのですか。
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父親が倒れたので青森の実家に戻って、週に一回ゼミのためだけに東京に行っていました。授業が終わって池袋駅から夜9時頃発の高速バスに乗って帰っていたんですが、待ち時間がもったいないと友達に話したところ、赤須先生の勉強会に誘われました。英語で書かれた言語学の入門書を読む読書会です。勉強会をして、その後一緒にご飯を食べると、ちょうどバスの時間になる(笑)。
文学や詩を読む時にはもちろん辞書を使うので、辞書って面白いな、と思うようになりました。エミリー・ディキンソンの詩を読む時には、ウェブスターの(An American Dictionary of the English Language (1828))を使うといいと別の先生にも教わりました。ちなみに、同辞書は ‘American’ と銘打っているけれども実際には ‘New England’ 辞書じゃないかという批判もあって。たとえば、choose という語は、いわゆる「永遠の生」を得るために最後の審判で選ばれる、というような定義が載っていたりして、辞書って面白いな、と思っていました。
赤須先生の勉強会に行くようになって、それまでは単語をたくさん覚えることができたら英語ができるようになると思っていたのですが、そうじゃないなと。ただ、辞書を引くこと自体は好きだったので、より辞書を読むようになって、そして辞書を学ぶ学問があることを知りました。
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そこから辞書学へと舵を切ったのですね。
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赤須先生の紹介で岩崎研究会に入会しました。小室さんにも研究会の前か後に研究社の近くのロイヤルホストで紹介してもらいましたよね。先生からは基本的な文献リストをいただいて辞書学の勉強を始めました。宮井捷二先生にもご紹介いただいて、東京外国語大学まで宮井先生の辞書学の授業をこっそり聞きに行ったりしていました。
赤須先生から、東京外大に進学するか英国のエクセター大学へ留学するかを勧めてもらいました。その時にはすでに父を亡くしていたので親の援助は得られないことを伝えると、赤須先生ご自身がロータリーの奨学金を受給して留学をされたご経験があるので、ロータリーを活用するようにと。高校の非常勤をしながら大学院を受験して、ロータリーにも応募をしたら、運よく両方通ったので、外大で半年勉強をした後に、休学してエクセターに留学しました。当時は学問的興味が単語にあったので定義語彙に関する修論を書きました。
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エクセター大学から戻ってこられた後に、野村恵造先生(元東京女子大学現代教養学部教授)に出会って辞書の仕事が始まるのですね。
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エクセター大留学中にも、ロングマンやブルームズベリー等でのプレースメントを経て、多少は辞書作りのお手伝いをしました。デラ・サマーズ(Della Summers)さんやマイケル・ランデル(Michael Rundell)先生のお手伝いをして、小室さんと一緒に Macmillan English Dictionary for Advanced Learners(2007)に名前が載ったのもいい思い出です。本格的な辞書の仕事がスタートしたのは帰国してからです。留学している間に宮井先生が退官されて、どなたに指導を仰ごうかと思った時に、赤須先生が野村先生を紹介してくださいました。そして、語用論に出会います。修論では、辞書における語用論情報について書きましたが、野村先生が編者を務めた『旺文社レクシス英和辞典』(2003)の語用論情報が最初の本格的な辞書の仕事です。
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02.-
語用論研究と学習英和辞典の編纂
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『旺文社レクシス英和辞典』(2003)の語用論情報はどのように執筆されたのでしょうか。
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市販されている英会話の本、特に日本人英語学習者の英語について英語のネイティブスピーカーが取り上げているものを隅から隅まであたって、そこから学習者に資する情報を収集しました。その時に情報整理を手伝ってくれたのが、当時学部生として野村ゼミにいた内田諭君(現九州大学准教授)でした。スペースのことは考えずにどんどん項目立てをして編集部に送っているうちに、野村先生もなるべくたくさん掲載してあげようと考えてくださったようです。レクシスは『ロイヤル英和辞典』を下敷きにしているのですが、ゲラにどんどん書き込みをしていきました。
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『レクシス英和辞典』のハートマークの語用論情報が、『コアレックス英和辞典』(2005)の PLANET BOARD に繋がっていくんですね。
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『レクシス英和辞典』における PLANET BOARD は鷹家秀史先生が執筆をされていて、文法・語法情報がメインでした。『コアレックス』はターゲットが『レクシス』より初習者だったので、もう少しやわらかい内容にしようということで語用論情報に力を入れることになりました。ただ、『レクシス』では、日本人はこう言うけど英語ネイティブはこう言う、という記述の仕方をしていたものの、日本人学習者の実際の英語使用についてはしっかりとした根拠がないことが気になっていました。そこで、『コアレックス』では、きちんとインフォーマントを立ててデータに基づいた記述をしたいと考えるようになりました。
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『コアレックス』の PLANET BOARD とバーミンガム大学での博士論文とはどのような関係にあるのでしょうか。
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両方をそれぞれに行うことは物理的に難しかったので、旺文社に PLANET BOARD のデータを博論でも使わせて欲しいとお願いをし、内々に編者である野村先生と編集部の方、指導教授のロザムンド・ムーン(Rosamund Moon)先生に許可を得て、両方を同時に行うことが実現しました。野村先生も、辞書の仕事があまり負担にならないように、研究に結びつくような形になるようにと配慮してくださっていました。ムーン先生にはインフォーマント、特に若いインフォーマントを探す時に、ご自身のゼミ生を紹介していただいたりもしました。
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PLANET BOARD のアンケートはとても大変だったのではないかと思いますが、苦労した点を教えてください。
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旺文社がアンケートフォームをWEB上に上げて回答を集め、回答を Excel シートに落とし込む、というところまではプロダクションに依頼してくれたんですが、インフォーマントからの問い合わせへの個別対応も本当に大変でした。インフォーマントが日本人、英語ネイティブ、それぞれ100名以上いました。建て付けとして、アンケートの設問すべてに回答すると、最後に謝礼を受け取れる仕組みになっていたので、途中の段階で質問がたくさん来るんです。「これちょっと回答しにくい」とか「求められていることがわからない」とか。個別に回答してしまうと条件が同じではなくなってしまうので回答の仕方にも苦労しました。まさかスパイではないでしょうが、英国の有名な出版社の辞書執筆者がインフォーマントに入っていることがわかって、丁重にお断りをしたことなどもありました。
アンケート自体も、公開前に何度も何度も改訂をしました。案を作成して、旺文社の辞書のパネルや編集委員などをしているネイティブスピーカーの方々に見ていただいて、フィードバックをもらいました。途中から、旺文社で英文校閲のお仕事などをされていたナディア・マケックニー(Nadia McKechnie)さんのご協力もいただいてシナリオを作りました。
体重も10キロ以上落ちました。成城大学に就職が決まって健康診断書を提出するのに健康診断に行きましたが、採血をした時に貧血なのか寝不足なのかで倒れて、気がついたらベッドに寝ていました(笑)。問診の時にお医者さんから、もう少し休みなさい、と言われてしまいました。
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そもそも語用論の中でもポライトネスの研究に興味を持ったのはどうしてですか。
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まず最初に文学が好きだったからだと思います。どうしてこういう言い回しをするのかな、と考えた時に語用論で説明がつくこともあります。また、実際に留学をして英国で暮らしてみると、日本で学んできた英語ではコミュニケーションがうまくいかない場面を経験しました。たとえば、何か食べ物を勧められて断るとき “No, thank you.” と言うだけでは、不十分というか失礼で、お礼や「お腹がいっぱい」といった断る理由も付け加えないと相手に対する配慮が足りません。それに加えて、「NHK 英語でしゃべらナイト」の語用論情報の監修を頼まれたりしたので、研究に対する需要があること、その大切さにも気づきました。
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語用論だけでなく、辞書への興味も持ち続けられたんですね。
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そうです。その時に気になったのが、辞書には権威があることです。いくら記述主義の立場で編集したと訴えても、ある情報が辞書に載るとそれが権威を持って独り歩きを始めます。一方、語用論に関しては、固定したものではなくて文脈によって変わるので、その情報をどのように扱うといいのか考え始めました。「こういう風に使います。」と提示しても、それが「こういう風に使うべき」と学習者の頭の中では翻訳されてしまう。どうしたら誤解なく伝えられるのかな、ということです。
ただ、ムーン先生は辞書でポライトネスは扱うことはできないと言って、ポライトネスを扱うことには最初大反対だったんです。在外研究の時に、語用論ではこの先生に教わりたいと思っていたウォリック大学のスペンサー・オーティ(Helen Spencer-Oatey)先生にお世話になったのですが、スペンサー・オーティ先生がムーン先生とも電話でやり取りをしてくださったりして、最終的には辞書におけるポライトネスを扱うことになりました。
博士論文の中間審査でも、外部審査員をされていたノッティンガム大学のノーバート・シュミット(Norbert Schmitt)先生からものすごくボロクソな評価をもらいました(笑)。ムーン先生が最初におっしゃったように、語用論の情報を辞書で本当に扱えるのか、と。それをまたスペンサー・オーティ先生に相談すると、まあ、でも、辞書に載っているというのは事実なのだから、それがデータとして使えるはず。辞書がどう記載しているかというとこからもう一回やってみたら?とアドバイスを受けて、研究を進めていきました。ただし、その後、シュミット先生が出版された応用言語学の入門書の中でスペンサー・オーティ先生が僕の論文を引用して、これからは語用論的指導に辞書も役立ちますよ、というようなことが書いてあって(笑)。それでも最終の口頭試問で同じ先生にダメ出しをされて(笑)、ただ、やっていることは面白いから書き方の問題だと。辞書におけるポライトネスの記述の例がよくないからそれを書き直しなさい、と指導を受けました。色々ありましたが、この3人の先生方には大変お世話になりました。
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『グローバル社会の英語コミュニケーション・ハンドブック』(2024、三省堂)は、語用論の研究を実際に学習英和辞典の記述に反映させてきた中で、実現できなかったことを詰め込んだ、一つの集大成的な位置付けになるでしょうか。
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博論で辞書だけでなく外国語教育における語用論情報の扱い方を提言したので、それを実践しないといけないな、と思って作ったという意味においてはそうですね。それから、「コミュニケーション能力」が重要だ、ということがさんざん言われてきていますよね。1998年の中学校の学習指導要領改定では、「実践的コミュニケーションの能力の育成」が目標として掲げられ、その後コミュニケーションはそもそも実践的なものということで「実践的」が削除されたりはしましたが、コミュニケーション能力の育成が強調され続けています。外国語で行うコミュニケーションって何?ということを考えると、大体、チケットを買うとか、道を尋ねるとか、語用論でいう発話行為—言語行為という人もいますが—なんですよね。学習者に発話行為ができるようにしてあげる、というのが外国語教師として目指すところなのかと。CEFRにも大きな影響を与えた「概念シラバス(notional syllabus)」のウィルキンス(D. A. Wilkins)は、外国語で何かをレポートするのと、何か「行為」をするのはまったくの別物だと書いています。人が歩いているのを見てそれを描写できても、本を借りたい時、文句を言いたい時に具体的に何て言っていいのかわからない、ということがあると思うんです。「ペンを貸してほしい(“May I borrow your pen?”)」を英文に訳しなさいと言うと、7割くらいの中学生が訳せるけれど、ペンを借りたい時には何て言いますか?と尋ねると和訳の時の3分の1以下しか答えられない、という報告があります。それならば、何かを「できる」ようにするための表現を辞書に載せないといけない。そして単に目的を達成するだけではなく、角が立たないように「する」などポライトネスの部分がとても大事な要素になってくる。そうした情報をきちんと与えられないといけないな、というのが出発点です。
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『ハンドブック』の「表現辞典編」を作成するにあたって、それまでの研究や実践の成果をどのように反映されましたか。
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PLANET BOARD は日英それぞれ100名以上という大規模な調査で、その利点もありましたが、アンケート回答後のフォローアップや再調査ができなかったんですね。こちらの狙っていたポイントではないところが「言う・言わない」の判断に影響するもありました。たとえば、人を車で迎えに行く時にこう言いますか?という例文で、言わないと回答した理由が文中で用いられていた collect ではなく、アメリカでは pick upを用いる、というような語彙の問題で、語用論的ポイントではないものがありました。そのようなことが多いと、最終的にデータとして有効とならない項目が結構出てしまう。語用論的なことを問うには、一方通行かつ多肢選択の回答だけでは限界があると実感しました。それで今回は、少人数だけれども、アンケートを出してもらった後に、こちらから不明点を聞き返せる、双方向のコミュニケーションが取れる形式にしました。辞書のエントリーをドラフト段階から共有して、対象となる表現が容認できるものかどうか、容認できないとしたら、どのように言うかを回答してもらったので、細かな情報の共有も可能になり、無駄にしてしまう項目がなくなりました。
『ハンドブック』で見出し語に訳語ではなく日本語による文定義をしたのもこだわりです。訳語を提示することで誤解が生じる可能性があるので、「このように使う」とは書かずに、「どのような行為をする時に、どのような場面で使われるか」をあくまでも記述的に説明しました。
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03.-
これからの辞書における語用論情報の記述
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(紙の)辞書の改訂が非常に厳しくなっていますが、これからの辞書における語用論情報の記述についてどのようにお考えですか。
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実は、辞書とはマッチしないのかな、と考えています。『グローバル社会の英語コミュニケーション・ハンドブック』の中では「表現辞典編」としてまとめていますが、学習者が、こういう場面で英語で何ていうか知りたい!という時に辞書を手に取るとは思えないですよね。今回、アルファベット順や機能別など複数の索引も提供したうえで、見出し語を人間の行う行為でまとめて掲載していますが、どのように提示するのが一番いいのか。辞書ではなくテキストの方がよいのか。でもテキストをまるまる一冊覚えるというのもあまり現実的ではないし。辞書は、外国語学習のために統合されたメディアの一つのパーツになっていって、それはもう辞書と呼ぶものではなくなっていくかもしれない。
ハンドブックを作成しながら、ここにまとめた表現と情報は、辞書や教科書などを作る人の資料として活用してもらってもいいのではないかとも思いました。もちろん、辞書を引くように使ってくれる人がいたら、それは嬉しいんだけれど、この表現はこういった場面でこのように使う、と説明があっても、実際にどういう時に使うのかを真に理解するためには、コミュニケーションの原理を理解している必要がありますよね。日本の文化では謙遜して否定する場面でも、英語圏では受け入れることで円満なコミュニケーションが成立することもあるとか。それで前半が「理論編」となっています。従来の辞書でも前づけ等でせいぜい数ページの解説はありましたが、あれでは全く足りません。ある表現がどういう行為をどのように行う際に用いられるのかを辞書が説明し、その行為が英語圏ではどのような場面で行われるのかを説明するのが理論編です。私の担当する異文化間コミュニケーション論を受講した学生からのフィードバックも参考にし、ゼミ生に学生目線での校閲もしてもらいました。
ジェニー・トーマス(Jenny Thomas)という語用論学者がいます。 ‘Pragmatic failure’ という用語を初めて提唱した方なのですが、論文の中で、語学の教員がコミュニケーションの仕方を教えるのはおこがましい、ということを書いています。たとえば、英語を外国語として話す人同士が話している時に無礼な発言があった時、こういう時にそんな言い方はしないものだと正すのではなく、もし本当に最大限に侮辱をしようと思って発言しているのなら、それを手伝うのが語学の教員だろう、道徳の先生ではないのだから、と。
ただ、語用論的失敗というのは、気が付かない、言語の問題とは認識されにくいんですよね。ネイティブスピーカーが文法や語彙、発音の誤りを聞いたら、この人は英語があまりできないのかな、と思うわけですが、語用論的失敗は、言語的な間違いというよりも意図的な発言と解釈されてしまう。その結果、この人ちょっと変だな、と思われるくらいならまだしも、ポライトネスと関わる語用論的失敗だと、無礼な人と思われたり、人格を疑われたり否定されたりするようなことにもなりかねない。だからこそ慎重に扱わないといけない。それを辞書でどうやって扱うのか、というのはいつまでたっても謎ですよね。
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川村先生のご研究のような日本語を母語とする英語学習者にとって痒いところに手が届くような情報は、英英辞典には期待できないので、英和辞典の強みをあらためて感じます。
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PLANET BOARD も本来であれば、改訂を続けていけるとよかったと思うのですが、英和辞典の置かれている状況がご存知のように厳しいので、『オーレックス英和辞典』では、PLANET BOARD のコラムを「英語の真相」というコラムに書き換えるに留まっています。
辞書の出版社に活気づいてほしいですよね。辞書編集部って職人のような方がたくさんいらっしゃいますよね。そうした方々が所属を超えて協力して、いわゆるこれまでの紙の辞書の形が無理だとしても、学習アプリの中の語彙を扱う部分などで、新しい形を作り出していくことがあったら嬉しいな、と思います。
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04.-
インタビューを終えて