トム・ガリー先生のお名前や辞書編集者としてのお仕事は存じ上げていても、先生にお目にかかったことはありませんでした。ガリー先生のかつての同僚であった方から、とても気さくで良い方なので、きっとお引き受けいただけると思いますよ、と、背中を押していただいてインタビューを依頼したところご快諾くださいました。先生は、ご自身でこのWebサイトをPDF化して閲覧しやすくまとめられ、事前に他の記事にも目を通してくださっていました(感動)。先生のお人柄と、辞書と辞書を作る人へのあたたかい思いを感じました。
先生のご著書、『英語のアポリア:ネイティブが直面した英語の難問』(2022、硏究社)を読むと、ガリー先生は、難しいことがお好きで、常に専門性というものに敬意を持って接していて、「根拠」をとても大切にされていることがわかります。しかし、しっかりとした科学的根拠があるわけでなくとも、経験によって育まれた意見や考えもまた大切にし、そこには主観が必ず伴うことを認識し、共有しながら、他者と丁寧に議論やコミュニケーションを重ねる。その両方において努力を惜しまず、実践を積んでこられたことが、先生の辞書編者・執筆者としての功績と強く結びついているように思いました。お話をまとめ終えて頭に浮かんだことばは「唯一無二」でした。
トム・ガリー
Tom Gally- 1957年
米国カリフォルニア州パサデナ市 生まれ
- 1978年
カリフォルニア大学サンタバーバラ校言語学専攻 卒業
- 1979年
シカゴ大学大学院言語学修士課程 修了
- 1980年
シカゴ大学大学院数学修士課程 修了
- 1983年
英文編集、英語教師、フリー執筆業(和英翻訳、英文執筆、辞書編集)
- 2002年
東京大学大学院理学系研究科 非常勤講師
- 2005年
東京大学教養学部附属教養教育開発機構 特任講師、2006 特任助教授、2007 特任准教授
- 2008年
東京大学教養学部附属教養教育開発機構 准教授
- 2010年
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻・教養学部 准教授
- 2013年
東京大学大学院総合文化研究科・教養学部附属グローバルコミュニケーション研究センター(言語情報科学専攻兼務)教授
- 2023年
東京大学グローバル教育センター 特任教授(〜現在)、東京大学名誉教授
- 2026年
東京都市大学教育開発機構特任教授(〜現在)
『新和英大辞典』 第5版(2003)編集委員、『フェイバリット英和辞典』第4版(2012)編者、『TKG Japanese-English Learner's Dictionary』企画者など、多数の和英・英和辞典の編纂に携わる。
『新和英大辞典』 第5版(2003)編集委員、『フェイバリット英和辞典』第4版(2012)編者、『TKG Japanese-English Learner's Dictionary』企画者など、多数の和英・英和辞典の編纂に携わる。
- 1957
米国カリフォルニア州パサデナ市 生まれ
- 1978
カリフォルニア大学サンタバーバラ校言語学専攻 卒業
- 1979
シカゴ大学大学院言語学修士課程 修了
- 1980
シカゴ大学大学院数学修士課程 修了
- 1983
英文編集、英語教師、フリー執筆業(和英翻訳、英文執筆、辞書編集)
- 2002
東京大学大学院理学系研究科 非常勤講師
- 2005
東京大学教養学部附属教養教育開発機構 特任講師、2006 特任助教授、2007 特任准教授
- 2008
東京大学教養学部附属教養教育開発機構 准教授
- 2010
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻・教養学部 准教授
- 2013
東京大学大学院総合文化研究科・教養学部附属グローバルコミュニケーション研究センター(言語情報科学専攻兼務)教授
- 2023
東京大学グローバル教育センター 特任教授(〜現在)、東京大学名誉教授
- 2026
東京都市大学教育開発機構特任教授(〜現在)
Interview
インタビュー2026.04.28 実施
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01.-
外国語学習と辞書
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「辞書」に興味を持たれたのはいつ頃でしたか。

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私はカリフォルニアのごく平均的な家庭に生まれましたが、両親ともに教育熱心だったと思います。母は小学校の先生、父はカリフォルニア工科大学を卒業後、エンジニアとして働くかたわら、趣味として地元の歴史について研究するなどしていたので、家に本がたくさんありました。ですので、7、8歳の頃から、よく本を読んでいました。二人の姉もそうでした。よく近所の図書館に行って本を借りていました。
辞書もその頃から自然と身近なものでした。家に Webster’s Third New International Dictionary (1961) が開いて置いてあったことをよく覚えています。引いてみても子どもには難しくてわからなかったですが。高校生になって言語に興味を持ち始めてからは Merriam-Webster’s Collegiate Dictionary や、祖母からもらった Concise Oxford English Dictionary をよく使っていました。
辞書だけでなく World Book Encyclopedia など百科事典も好きでした。 家に2、3種類の百科事典がありました。高校生の時には、古書の即売会で Encyclopedia Britannica の第9版(1875-1889)のセットを10ドルくらいで買って自分の部屋で乱読していました。
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外国語の辞書についてはいかがですか。

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高校生になって(14歳)ロシア語を勉強するようになったので、そこで外国語の辞書との出会いがありました。多くの公立学校では外国語は必修ではなかったのですが、当時進学を考えていたカリフォルニア大学の入学条件に2年間以上の外国語履修歴が必要だったことが勉強を始めた大きな理由です。ロシア語を選んだ理由は、中学生の時からドフトエスキーなどロシア文学を英訳で読んでいたことや、ロシア語に対する難しい、珍しいというイメージがあったこと、です。当時は冷戦中でしたので、政治的な意図があったわけではないのですが、敵国の言語をあえて選んでみたところもありました。授業は、少人数で5人から10人くらい、学年が上がるにつれて人数が減っていって、最後の授業まで残っていたのは私一人だったと記憶しています。リチャード・スレーター先生はアメリカ人で、板金工として働いた後、35歳の時にカリフォルニア州立大学でロシア語を勉強したという少し変わった経歴の方でした。詳細はわからないのですが、敵国語であったからこそ、公立高校におけるロシア語教育に補助予算がついたのではないかと思います。ですから、私が卒業して数年後にロシア語の授業はなくなっていました。冷戦中だったので、先生も、もちろん私もロシアに行ったことはありませんでしたが、言語の構造に興味をかき立てられ、熱心に勉強しました。数学も好きだったので、言語の数学的な側面、動詞、形容詞の複雑な活用を面白く感じました。
大学入学後は、中級のクラスに入ってロシア語の勉強を続けました。かなり集中的に履修を組んで、1年生を終えた後の夏休みに、カナダのトロント大学で8週間のロシア語講座に参加しました。ネイティブまたはネイティブに近い先生方から教わり、精読から多読に移行して、大学2年生の時には、19世紀の文学作品、『戦争と平和』などを辞書なしで読めるようになりました。
この間、露英辞典をいくつか使っていましたが、辞書に対する不満はありませんでした。高校生の時に、英語母語話者向けの小さなペーパーバックの辞書を使っていましたが、活用についても丁寧な説明があり、辞書を引いても見出し語がない、ということもあまりありませんでした。大学ではもう少し大きい Oxford Russian-English Dictionary を使っていました。
大学では、中国語の勉強もしました。台湾出身の熱心なネイティブの先生二人に教わりました。まだ米中で国交がなく、ニクソン大統領が中国を訪問してアメリカとの繋がりができ始めていた頃だったので、これからは中国語ができるといいだろうと、多くの学生が中国語を履修する、そういう雰囲気がありました。ただ、先生が最初の2週間、毎日50分の授業で、文法などの説明は一切なく、マーマーマーマー(笑)四声の発音だけをやる。生き残った学生は15人くらいでしたが、非常に仲良くなりました。ちょっと面白い話としては、中国語のクラスにグレゴリー・ノーブルという人がいて、彼は3年次に台湾に留学しました。私は大学を早期卒業したので、彼が大学に戻ってきたときには私はもう大学にはいませんでした。その後、20年以上連絡がなかったのですが、2000年頃に、彼の名前をネット上で見つけました。ハーバード大学に進学し、政治経済学で博士号を取得、特に東アジアを専門として、オーストラリア国立大学で教鞭を取っていました。連絡をしてみると私のことをよく覚えていてくれて、翌年から東京大学の教員になるというではないですか。当時の私は、東大とは翻訳の仕事をしてはいましたが、その程度の関係でした。それが、彼が着任した翌年に私も東大の教員となり、3年前に一緒に定年退職をして、一緒に名誉教授になりました。
中国語に話を戻すと、2年間一生懸命勉強し、漢字も覚え、読み書きも会話もできるようになりました。ただし、ロシア語の勉強とは、辞書の点では大きく違いました。英語を母語とする人が中国語を勉強したいという時に手に入る中英辞書は、台湾で出版された中国語母語話者向けの辞書でした。この辞書は内容は同じまま、小中大と3つのサイズで展開されていて、最初は小さいサイズのものを使っていましたが、紙の質、印刷の質が悪く、画数の多い漢字は字が潰れてしまってよくわからないため、結局3つのサイズすべて購入することになりました。漢字から辞書を引くというのは非常に難しく、1つの単語を調べるだけでも時間がかかりました。良い辞書がないことに対するフラストレーションは大きかったですね。中国語の勉強を3年目以降継続しなかったのは、よい辞書がなかったことは1つの要因だったと感じます。
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日本語の勉強をしていた時にはどのような辞書を使っていましたか。

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26歳の時に、特に理由なく、とりあえず1年くらいと思って日本に来ました。中国語を勉強していたので漢字の認識はできましたが、日本語はまるでわかりませんでした。日本語の辞書で、最初に買ったのは、研究社の『新ポケット和英辞典』です。日本人向けの和英ですが、見出しがローマ字でアクセントの表記もありました。わからない単語があった時に引いても、当たり前ですが、語釈はなくて英語の訳語があるだけ。説明があってもそれを最初は読めなかった。用例も、見出し語と一緒に使われている語の漢字にふりがながないので読めなかった。日本語学習者用ではないから仕方なかったけれど、学習者向けの辞書がなかったのです。
2冊目は、The Modern Reader’s Japanese-English Character Dictionary(『最新漢英辞典』)の第2版です。漢字と漢語だけ、漢字に慣れていない学習者向けの辞書で、当時の紙の辞書としてよく作られていたと思いますが、定義だけで用例はなし。見出し語として扱っているのは、本当に漢語だけで、カタカナ、ひらがなは一切なし。動詞の活用などの文法情報もなかったです。良い辞書でしたが、大きすぎて持ち歩くことはできなかったです。
そして、三省堂か研究社か忘れてしまいましたが、ポケット英和辞典と、漢字を引くのに漢和辞典も活用していました。中級レベルになると、国語辞典、『新明解国語辞典』の第3版か第4版を使うようになりました。
毎日、和英、英和、漢和、国語と4冊の辞書を持って学校に行き、そしてその後は図書館で日本語の勉強をしていましたが、どの辞書を引いても自分のニーズが満たされないことがありました。中国語や韓国語母語話者の日本語学習は多分事情が違ったと思いますが、英語やその他のヨーロッパ言語を母語とする人にとってのよい辞書はなく、やはり利用できる辞書、という点においては、フラストレーションを感じました。
そういう意味においては、日本人英語学習者はとても恵まれていると言えます。これは断言できます。数も多いし、それぞれ対象者に向けて丁寧に編集されていて、よい英和辞典が本当にたくさんあります。それに対して、英語を母語とする外国人が日本語を学ぶのに良い辞書はなかったし、今もないと思います。
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02.-
翻訳と辞書
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日英翻訳者としてお仕事をされるようになってからはどのような辞書を使っていましたか。

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1986年からフリーランスの翻訳者として、翻訳代理店から仕事を請け負っていました。研究社の『新和英大辞典』の第4版を買いました。一番大きな和英辞典ということもあり、不満もありましたが、よく使いましたし、助けられました。また、6万円ほどする技術用語の専門辞典を新宿紀伊國屋で買ったことも覚えています。間違いは多かったけれど、それでも非常に役に立ちました。石油会社から依頼された仕事も多かったので、石油関連の辞書、潤滑油専門辞書など、多くの辞書を買いました。
また、国語辞書をよく使うようになりました。日本語母語話者向けの和英辞典は、日本語に対して英語が与えられているわけですが、与えられている英単語がそもそも多義なので、ニュアンスの理解の助けにならない。日本語を読めるようになったら、国語辞書がとても役に立ちました。趣味として国語辞書を集めたり、学会などで話をしたりしました。
翻訳者として最初の10年ほどは、紙媒体の辞書の時代でした。1990年代前半、インターネット以前のパソコン通信時代には、TWICS という掲示板システムを活用するようになりました。翻訳者・通訳者・語学関係者のための情報交換ネットワークで、主に日本語を第二言語として扱う人たちが、英語でやり取りをしていて、ここで初めて翻訳者同士のつながりができました。35年たった今でも連絡を取り合っている人もいます。
そして、90年代後半になってインターネット時代に入ると、情報交換の場がメーリングリストに移りました。それによって国内だけでなく、海外の日英翻訳者ともつながることができました。毎日のようにメーリングリスト上で議論が展開され、単語の意味から、翻訳者としての実務的な悩み、例えば支払いをしてくれないクライアントへの対応などまで内容は多岐に渡るものでした。
そして、サーチエンジンが登場します。大学や出版社に所属していれば、コーパスにアクセスすることができるようになってきた頃ですが、私たちはコーパスが使えなかったので、サーチエンジンをコーパスのように使うようになったんですね。最初に AltaVista という検索エンジンが出てきて、その数年後に Google が出てきました。辞書ではなく、インターネット上で用例を検索して、用例から言葉の意味や使い方を推測することが可能になりました。
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03.-
辞書編纂との出会いと編集者としての仕事
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先生はカリフォルニア大学サンタバーバラ校で言語学を専攻し、その後、シカゴ大学で言語学と数学の2つの修士号を取得されていますね。

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高校生の時に、ロシア語の勉強に力を入れていましたが、数学も得意で、よく勉強していました。飛び級で勉強をしていて、2年生の時には高校では合うレベルの授業がなく、近くの短大で微分積分を勉強しに行ったのですが、私にはとんでもなくつまらないものに感じられました。プラクティカルなものよりも純粋数学が好きだったので。一方、公立図書館で色々な本を読んでいる中、Leonard Bloomfield の Language (1933) を読んだ時に言語学もまた非常に面白いと感じました。Edward Sapir も読んでいましたが、Bloomfield のどちらかというと構造主義的な言語観に惹かれました。それで、学部では言語学を専攻しました。
Usage についても興味があり、New York Times に連載されていた ‘On Language’ という語法に関するコラム(1976-2011)が好きでよく読んでいました。どちらかというと規範的な立場で書かれていて、「正しい」英語とは何であるかということについて考えていました。
他の辞書編纂者たちのインタビューを読んで感じたのは、ある時期において日本では、言語学=生成文法と、生成文法がかなりの権威を持つものであったことです。アメリカではもっと論争がありました。私が学んでいた西海岸では、どちらかというと文化人類学や社会科学的な考え方が強く、生成文法に対する反発がありました。東海岸は、MITやハーバードを筆頭に生成文法が盛んで、チョムスキー一色でした。シカゴ大学は、地理的にもイデオロギー的にも中立的でした。教授陣には生成文法の専門家ももちろんいましたが、ヨーロッパ中心の構造主義や歴史言語学の専門家もいて、生成文法万歳という雰囲気はありませんでした。ですから、生成文法は一応学んだけれども、そして数学が好きだったので、チョムスキーの理論は理解できましたが、疑問を感じました。言語が頭の中で生成されるプロセスについて明確な理論があるわけですが、根拠がない。50年経った今でも同じように考えています。専門を言語学から数学に変えた1つの理由は、チョムスキーの理論に強い疑問を感じたからです。数学の研究は楽しかったのですが、最終的には壁にぶつかって疲れてしまいました。その時点で数学を研究するような資質がなかったのかな、と思います。
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日本にいらっしゃる前に、大学職員としてお仕事をされていますよね。

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最初にシカゴ大学、そしてミシガン大学で大学職員として働きました。ミシガン大学で配属された部署では、卒業生向けの雑誌やその他刊行物の編集をしていました。後から振り返ると辞書の編集の役に立つ経験でした。「本」とはどのようなものか、組版をする時にどのような指示をするのか、まだ活版印刷も残っていたので、活版を前提として色々と、紙の厚さとか製本技術なども学びました。ずっと本を読んできたので、その編集と出版そのもののプロセスを見られるのは面白かったです。研究社の『新和英大辞典』の仕事では、編集者と日本語の専門用語ー辞書の「のど」とか、箱の「かまぼこ」とかーについて話をするのも楽しかったです。
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最初の辞書のお仕事はどのようなものでしたか。また、どのようなきっかけだったのでしょうか。

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最初の辞書の仕事は『ふりがな英和辞典』(講談社インターナショナル、1996)です。この仕事のきっかけは、英会話学校の生徒さんの仕事を手伝ったことで、講談社インターナショナルと多くの仕事をするようになったことです。講談社インターナショナルには、日本語学習の本を扱う部署があり、 Power Japanese というシリーズを出していました。90年代、日本国内の本屋でも、海外の本屋でもよく売れていた手頃な値段のシリーズです。私の生徒であった福田浩子さんの『Flip, Slither, and Bang: Japanese Sound and Action Words』(1993)の英訳部分を私が担当しました。その後、私自身もこのシリーズで本を出したり、その他色々な仕事をしました。
ある時、その編集者から、日本語学習者向けの英和辞典を「できるだけ安く早くつくりたい」という話がありました。そのコンセプトではゼロから辞書を作ることはできないので、『講談社ハウディ英和辞典』(中学生向けの英和辞典)のデータを外国人向けに編集をしてくれないか、という依頼でした。私が英語と日本語ができて、そして辞書にも興味があることを知っていて声をかけてくれたのだと思いますが、辞書編纂については何も知りませんでした。Aから始めて、見出し語を追加していったらAだけで大変なページ数になってしまったり(笑)。それで、辞書編纂についての本を探し、Sidney Landau の Dictionaries: The Art and Craft of Lexicography (1984) を読みました。内容が実践的で、後から考えれば当たり前のことが多いのですが、非常に役に立ちました。自分でプログラムを書いて、元の英和辞典のデータを変換したり、なかなか手間がかかりました。名前の通り、すべての漢字にふりがなをふっています。
私は翻訳者として生計を立てていて、翻訳の仕事で十分な収入があったので、辞書の仕事は半分趣味的なところがありましたが、もう少し内容をしっかりさせたかったし、報酬の面でも望んでいた印税の支払いはなかったので、少し残念に思った仕事でした。
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その後、『フェイバリット英和辞典』をはじめ多くの辞書編纂に携わっていらっしゃいますね。

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様々な辞書の編纂には、辞書編集プロダクションを通して関わっていました。こちらにインタビュー記事もある浅田幸善先生から声をかけてもらいました。浅田先生とは同じマンションに住んでいて、子供が同じ幼稚園、そして小学校に通っていたというご縁です。
英和辞典に関しては、英語母語話者のインフォーマントとしての仕事が主でした。用例の英語が自然かどうか、英語と日本語に違いがないかなどをチェックしました。また、発音表記についても、アクセントの位置、特に形容詞のストレスシフトが起きる場合について、ネイティブ・スピーカーとしての感覚だけで判断をしていました。
和英辞典の場合は、日本語の用例の英訳を添削したり、用例をゼロから翻訳したりしました。『フェイバリット和英辞典』(2001)では、和英辞典で初めて「ん」で始まる項目「んんん」を収録しました。曖昧な記憶ですが、『三省堂国語辞典』に「んんん」という見出し語が入っているとどこかの記事や本で読んだことがきっかけです。『アドバンストフェイバリット和英辞典』(2004)は、有名な短歌と俳句の英訳を百首ほど掲載しているのですが、その英訳もしました。日本語の五七五に対して英語は音節で五七五なので、表現するのにかなり余裕があって翻訳は楽しかったですね。
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硏究社『新和英大辞典』第5版(2003)のお仕事について教えてください。

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2002年の4月に、硏究社辞書編集部の逸見一好さんから突然連絡がありました。逸見さんとは面識はありませんでしたが、逸見さんも翻訳者のメーリングリストに入っていて、そこで私の辞書についての議論などを目にして、声をかけてくださったようです。編集作業はかなり進んでいましたが、最後の1年ほど、一部の項目を執筆しました。
第5版が第4版と大きく異なるのは、日本語の用例の作り方です。第4版では、まず英文があり、それを日本語に訳して少々手直ししたものが日本語用例となる、という英語から日本語の順で作られた用例が多かったので、日本語が不自然なものが少なくありませんでした。日本語に不必要な主語や目的語が入っていたり。第5版では、日本語を自然なものにするために、日本語で用例を先に作り、それを自然な英語にしました。結果として、主語が明記されていない日本語の用例が多くなりました。(もちろん英訳においては主語が補われることになります。)
最初にもらったファイルが「つ」だったことはよく覚えています。最初の項目が「使う」で、いきなり難しい多義語でした。英語の同義語も多いですし。私は、日本語の用例を英語にしたり、校正もしましたが、新項目の執筆もしました。
『新和英』の仕事は大変でしたが、とても楽しかったという印象が強いです。ここでインタビューを受けている多くの方と違って、私は英語母語話者なので、中学校、高校で英和辞典を使っていたという経験、また、そこから来る英和辞典に対する思い入れ、というものはありません。もちろん、日本人英語学習者にとって英和辞典がどのようなものなのか、その文化については理解していますが、あくまで仕事として関わってきました。「日本人向けのものを作っている」という感覚が強くありました。『フェイバリット和英辞典』も、その点は同じで、日本人学習者に向けて作っていました。一方、硏究社の『和英大辞典』は、主に日本人向けの辞書ではありますが、外国人も使っているという認識があったので、私にとって他の辞書とは少し異なるプロジェクトでした。
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まえがきには改訂の特色として7点が挙げられ、4点目に用例作成について以下のような説明がある:
4. 日本語の専門家、日本語に堪能な実務翻訳家を含む英米人執筆者、および現在英語教育に携わっている日本人執筆者の三者が絶えず意見を交換することによって、日本語の微妙なニュアンスを出来うるかぎり正確に英語に移し換えるよう努めました。作業手順としては、日本語の専門家によって採録された日本語用例の英訳を英米人執筆者のみで行い、それを日本人執筆者が元の日本語と見くらべて点検し、必要な修正を英米人執筆者に求める、という方式をとることによって生硬な日本語と英語らしくない英語の排除を図りました。 -
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『新和英大辞典』第5版刊行記念パーティー(2003年9月19日)でのスピーチ
https://www.gally.net/leavings/01/0143.html
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『フェイバリット英和辞典』第4版(2021)では編集者としてお仕事をされています。編集者としての仕事について教えてください。

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『フェイバリット英和辞典』の第2版(2001)、第3版(2005)には校閲協力として名前が載っていますが、編集プロダクションを通しての仕事でしたが、2018年に、東京書籍の編集部から直接連絡がありました。『フェイバリット英和辞典』の改訂を考えているけれども、編集委員になりませんか、という話で快諾しました。今この時代に、紙の辞書を作るのはなぜか、というと、営業担当者が高校の先生方とのやり取りの中で感じ取り、アンケートを実施して一定の需要があるということがわかったからです。まだ紙の辞書の良さを大事にし、生徒に辞書を買わせて、授業で辞書指導を行っている先生もいる。正直に言うと、私自身はもう紙の辞書は使っていません。でも、学習者が紙の辞書を使うことの良さはわかります。需要に加えて、もう一つは、印刷技術が進化して、辞書でのフルカラー印刷が可能になったことです。辞書の薄い紙ではフルカラー印刷にすると裏に透けてしまっていたのが改善されて、学習者にとってよりわかりやすいデザインが可能になりました。
最初の編集会議は、2018年の6月でした。いくつかの改善案を提案書としてまとめて持っていきました。1点目は、見出し語の引きやすさと読みやすさです。見出し語に、タイプライターの時代は終わったのに、まだ分綴が残っていて読みにくい。一方、発音記号は読みにくい。分綴の削除と音節ごとに発音記号を区切る提案をして、後者は実際に新しい方針として採用されました。他にも用例の充実、ステレオタイプの排除や英語としての自然さをより持たせることなども提案しました。また、第3版の原稿に直接赤入れをして、具体的にどのように改善するのかを示したこともありました。英語だけでなく、参照を意味する「cf.」をアイコンに変更することなども提案しました。また、東京書籍に限られたことではありませんでしたが、用例に使われている名前が Mary とか Nancy とか John ばかり。実際にはイギリスでもアメリカでも様々な国の名前の人がいるので、そういった点についても指摘しました。
もう1つ、取り入れられて改善された重要な点は、「アクセントのない音節における前舌狭母音の区別」です。『フェイバリット英和』に限らず、区別をしていない英和辞典は多いのですが、creative の cre /kri/ と tive /tiv/ の母音が異なるにも関わらず表記が同じ /i/ になっていました。これはネイティブの感覚ではと非常に驚くことで、まるで違う音が同じ記号なのはおかしいと、この点に関してはかなり強く主張しました。結果として、受け入れていただき改善にされました。
この他にも自動詞と他動詞をどのように示すかなど、編集会議では活発な議論がなされました。会議が終わるごとに編集部が新しく紙面を作成してくれて、段々と良い紙面なっていくのがわかりました。様々な制限がある中で、ターゲットとしている学習者にとって非常に良い辞書ができたと感じています。ただ、1つ後悔していることがあって、それは最終校正の段階で、時間と体力が足りずに思うように校正ができなかったことです。ちょうどコロナ禍で在宅勤務ではあったものの、色々と大変で…。やはり辞書は企画だけでなく、丁寧に記述を見ることも大事だと思うので、少し後悔が残っています。
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04.-
辞書執筆者・編集者の資質
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英和辞典の校閲者として必要な資質・視点は何だとお考えですか。

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言語の詳細にどこまで敏感になれるか、ということかと思います。単なるネイティブスピーカーではできない仕事です。ことばの表記、意味やニュアンス、使用場面に興味、こだわりがあることが必要かと思います。
また、英和・和英辞典であれば、日本語がある程度できないと意味がずれていることに気づくことができません。発音記号が読めない人も珍しくありませんが、その場合も発音表記の問題に気づくことはないでしょう。
私は、辞書の仕事をする前は、英語については知識があり、センスもあると自負していました。編集や翻訳の仕事をしていたのでその点は一般的な人よりもあったと思うのですが、辞書の仕事をするようになって、自分の母語についての自分の無知さが明らかになりました。こんなにも自分の知らない単語があり、知らないニュアンスや使い方がある。それを自覚することが大事だと思います。自信過剰なのはよくないですね。
また、研究社の仕事を始めた時に感じたことですが、他の英文校閲者は疑問に思う箇所に下線を引いて「?」とクエスチョンマークだけ残していたけれども、できるだけ自分で調べて直す、100%の自信がなくても直す勇気が必要だと思います。そうでないとプロジェクトが終わりません。
こつこつ続ける能力も必要だと思いますが、私は締め切りのプレッシャーがなければ、そこまでこつこつ取り組めるわけではないですね。飽きっぽくもないけれど。編集部の人はすごいですよね。1つの辞書に何十年も関わっている。硏究社の編集者の方が定年退職の時に、どのような仕事をしてきたのかを新入社員に尋ねられて、最初の8年間は『活用辞典』、次の5年間は別の辞書、そしてこの20年間は『和英大辞典』をやってきたと答えたら、22歳の新入社員はちょっと青ざめていたと(笑)。会社員と大学教員やフリーランスは違いますけれど。
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英和辞典の編集者として必要な資質・視点は何だとお考えですか。

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グランドデザインができる力もありますが、従来の辞書においては、一度デザインを決めたら、途中で変えることは実質的にできないので、その点は注意が必要だと思います。
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05.-
これからの英語辞書
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先生は日本の英和辞典をどのようにご覧になってきましたか。

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一般的に素晴らしいと思うのと同時に不満もありました。コーパスが導入される前は、不自然な用例が少なくなかったし、お互いにコピーをしているので同じような間違いがあったり、それが何十年も引き継がれていたりしました。コーパスが主流になってからは、用例が飛躍的に改善されました。素晴らしいEFL辞典も出てきたことも影響していると思います。COBUILD はいまひとつですが、Oxford Advanced Learner’s Dictionary や Macmillan English Dictionary for Advanced Learners (2007) がいいですね。
その反面、アメリカ文学を教えていた時に、動植物や食品の名前が他の辞書になくとも『リーダーズ英和辞典』にはあることがよくありました。海外の辞書を真似るのでも翻訳するのでもなく、独自性のある良い辞書だと思います。
20年くらい前まで、自分のことを「辞書オタク」だと言っていました。翻訳の仕事をしながら、収入は減るけれども(笑)辞書の仕事をよくしていました。辞書の収集もしましたし、比較もしました。ただ、東京大学で専任として勤めるようになると、辞書の仕事のために時間を確保することが難しくなりました。辞書の仕事をしている人の多くが大学の専任教員なので、私も続けるつもりでいたのですが、忙しくなったことと、私が任されていた英語プログラムの性質上、辞書と接点がなくなっていきました。東京大学では必修の英語が2年次で終わってしまうので、最後の必修の英語の授業という位置付けであることを考えると少し勉強から離れると忘れてしまう語彙の習得に焦点を置くのではなく、批判的思考や科学的文章の書き方、プレゼンテーションの仕方などに重きを置く、ということもありました。
外国語学習における辞書の大切さは理解していても、プログラムの中に辞書の活用を入れることは現実的ではありませんでした。学習段階のどこにいるかで辞書との付き合い方も変わります。初習の段階で辞書を使いこなすことは難しく、中級・上級になってくると重要性が高くなると思います。そして、もう少し学習が進むと文脈から言葉の意味を推測できるようになって、辞書の必要性が減ります。もちろん文学研究などでは別です。
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先生は現在 AIを活用し、日本語学習者のための和英辞典を作成し、オンライン上で無料で公開されています。今後、辞書編纂はどのように変化していくとお考えですか。

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とても悲しいですが、紙の辞書は終わると思います。2021年に辞典協会から依頼があって書いたエッセイでは「機械翻訳はコンピューターの人工知能で動くので仕方がないかもしれないが、機械翻訳を使うのは人間なので利用者への配慮がもっと欲しい。その意味で、紙媒体でもデジタル媒体でも、人間の編集者が人間の利用者のために作った辞書がやっぱり良い。」と書きましたが、当時の機械翻訳のレベルを基準にしているので、今であれば同じことは書きません。2016年に Google 翻訳はニューラルネットワークを導入して、それまでのフレーズベースの機械翻訳に比べると、翻訳の質は上がりましたが、センテンス単位の翻訳で、文脈を把握できませんでした。そこに大規模言語モデル、ChatGPTなどが出てきて明らかに状況が変わりました。内部がどうなっているのかはわかりませんが、今のAIは言葉の意味を処理できるようになってきたと思います。人間しか辞書を作れないという時代は終わって、AIが辞書を作れるようになったと思います。
もうひとつ重要なポイントは、言語学習者に辞書がどこまで必要なのか、ということです。AI には従来の辞書が持たない機能があります。文脈の中での単語の意味を説明できることです。辞書の弱いところは、知らない単語を辞書で調べると、様々な情報や意味や用例があって、目の前のものがそのどれに当てはまるか考えなくてはならず、学習者にとってそれは非常に難しいことになりえます。一方、AIに文脈を与えた上で「この単語はここでどういう意味ですか」と聞けば、素晴らしい解釈が出てきます。そこまで正確な解釈を短時間でできるネイティブはいないと言っていいでしょう。文脈における意味を解釈できる能力は本当に素晴らしいと思います。最近のモデルでは文法の説明もよくできています。
今年の1月からAIで辞書を作っていますが、今話をしているこの瞬間もクラウド上で項目が生成されています。私が指示を出していますが、1字も書いていないし、修正していないです。ふりがなも自動的にふってくれます。構造的な問題はあります。項目がだぶっていたり、不統一はありますが、内容は本当にしっかりしています。
たとえば、「牛丼」の項目を見ると、beef bowl という直訳と “a Japanese rice bowl dish consisting of sliced beef and onion simmered in a sweet-savory sauce, served over rice” と説明の両方が出てきて、関連語として「並盛」「大盛」「特盛」「玉子」「味噌汁セット」が挙げられていますが、これらすべてAIが自動で生成したものです。用例の作成に関しては、使用する語のレベルや長さなどの条件を設定しています。用例には読み上げ機能をつけたいと思っています。十分ではないところもあるかもしれませんが、中級から上級の日本語学習者にとっては、この程度の情報があれば、かなり役に立つのではないかと思います。グランドデザインをAIに提供すれば、後の作業はすべてAIがやってくれています。また、この4ヶ月の間に、辞書の構造を何回か変えていますが、これは従来の辞書ではできなかったことです。ほんの数時間で大幅な修正ができます。
コーパスの時代も終わったかな、と思います。コーパスの発達は大きな、素晴らしい進歩であったと思います。実際の使用に対してエビデンスがある、というのは大きいことでしたが、コーパスも単語の意味の識別はほぼできないですね。辞書編纂者の判断が必要でした。また COBUILD のコーパスからただ取り出しただけのような生の用例は、それだけではよくわからないものがありました。コーパスとAIを連携させれば、AI は、自然で辞書に向いているもっといい用例を作れると思います。
LLM は、膨大なテキスト情報を処理して、単語と単語の関係を、ただの羅列ではなく、全体の中における単語の相互関係を数値化することができるので、素晴らしい言語能力を持っていると思います。AI のハルシネーションは情報量が少ないと起こりやすいので、使用頻度の高い、現代のことばに限定すれば、ハルシネーションも起こりにくいです。
この辞書をいつ完成させるかはまだ決めていないのですが、3万〜4万くらいの見出し語数になるかと思います。用例の中の単語にも相互参照をつけていますが、単語間のリンクはプログラムだけで生成できないので、AIに「考えさせて」対応しています。相互参照を充実させることによって、辞書を読む楽しさ、良さを伝えられたら、と思っています。
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「人間が作る辞書」『辞典の魅力!』第2回 辞典協会
https://www.jitenkyokai.gr.jp/information/detail_20210129.php -
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TKG Japanese-English Learner's Dictionary
https://www.tkgje.jp/
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インタビューを終えて