浅田先生には岩崎研究会で大変お世話になってきましたが、英語(を学ぶこと)と辞書が好き、という感覚がじわりじわりと育っていって、ついには立派な言語オタクに成長された!そして、そのまま(失礼?!)現在に至る、ということは存じ上げませんでした。また、外国語が好きな、言語に興味を持つ人たちが集まっている外国語大学の魅力と文化的豊かさを感じました。言葉は文化を育て、文化は言葉を育てると思うので、外国語学部や文学部が大事にされる国であって欲しいです…。
先生が、初めて人に話した、とおっしゃった作ってみたい辞書の構想を伺うことができたのは光栄至極です。長年辞書の編纂に携わっている方々の「こんな辞書があったらいい」をお蔵入りさせるのはもったいないので、最新の技術で新しい辞書の形で実現できるといいな、と思います。
浅田幸善
Yukiyoshi ASADA- 1954年
愛媛県生まれ
- 1978年
東京外国語大学外国語学部英米語学科卒業
- 1982年
東京外国語大学大学院外国語学研究科修士課程ゲルマン系言語専攻修士課程修了
- 1983年
防衛大学校外国語教育室助手 1988年講師、1993年助教授
- 2003年
防衛大学校総合教育学群外国語教育室教授
- 2019年
防衛大学校定年退職(名誉教授)
『ライトハウス英和辞典』(初版〜第3版)執筆、『グランドセンチュリー英和辞典』編集委員など、多数の英和辞典の編纂に携わる。
『ライトハウス英和辞典』(初版〜第3版)執筆、『グランドセンチュリー英和辞典』編集委員など、多数の英和辞典の編纂に携わる。
- 1954
愛媛県生まれ
- 1978
東京外国語大学外国語学部英米語学科卒業
- 1982
東京外国語大学大学院外国語学研究科修士課程ゲルマン系言語専攻修士課程修了
- 1983
防衛大学校外国語教育室助手 1988年講師、1993年助教授
- 2003
防衛大学校総合教育学群外国語教育室教授
- 2019
防衛大学校定年退職(名誉教授)
Interview
インタビュー2023.12.06 実施
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01.-
辞書編纂に携わるようになるまで
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英語の勉強はいつ始められましたか。
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母が中学校の国語教師だったのですが、同僚の国語の先生が英語の塾をしていて、その英語塾に小学校6年生の時に通うようになりました。特別なことを勉強した記憶はなくて、中学校の英語の教科書を友達と一緒にわいわいと勉強していたのではないかと思います。中学校に入ると、その先生に国語を習っていたわけですが、英語塾はそのまま続けていました。確か週1回数名の友人たちと真面目にやっていたのだと思います。中学校の英語の授業も、真面目に素直に受けていたと思います。勉強全般、これといって問題なく取り組めていたので、点数はよかったけれども、英語が特に好きという気持ちはありませんでした。好きでも嫌いでもなかったです。
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中学校で辞書は使っていましたか。
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辞書は使っていました。学研の『学習』という学習雑誌を購読していて、その付録の辞書を使っていたんじゃないかなぁ。記憶では研究社の『マイ英和辞典』(1966)も買ってもらって使っていました。どの程度まめに辞書を引いていたのか記憶にないですけど、昔の教科書は、今ほど単語の説明もなかったので、辞書で調べていたんでしょうね。
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高校では英語が好きになるようなきっかけがあったのですか。
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高校は、バスで30分ほどかけて通学していました。その高校の英語の先生が、小6から通った英語塾の先生のお兄さん、というなんとも言えないご縁がありました。その先生もご自身で英語塾を開いていて、高校からはそちらに通っていました。振り返ってみると、私の英語人生に大きな影響を与えてくれた兄弟ということになります。恩人ですね。
高校でも、最初は英語は嫌いではなかったけれども、やはりまだ特段好きだというわけでもありませんでした。当時は、男子は理系という風潮というか、どちらかと言えば個人的な思い込みがあったので、あまり深く考えず、工学部へ進学しようかと思っていました。ただ、徐々に科目の好き嫌い、向き不向きが出てきて、物理など得意ではない科目が出てきたので、非常に短絡的に、理系はやめよう、と(笑)。先生方に頼み込んで理系コースから文系コースに進路変更をしたのですが、そこでも、潰しが効くのではないか、という漠然とした理由で法学部に進学しようかと思っていました。ところが、3年生になって英語の勉強をしていると、体が喜ぶような感覚が生まれるようになったんですね。spine-tingling というのでしょうか、わくわく感を感じることが多くなってきて、英語の勉強を続けたい!と思うようになりました。そのときもやや短絡的に、語学をやるなら外国語大学でしょう、地元に近いのは大阪外大だけれども、どうせなら東京でしょ、ということで(笑)、二期校であった東京外大の受験科目に合うように一期校も決めて、東京外大への進学を目指しました。その頃、合格発表は3月の末で、発表後すぐに授業が始まるような感じでした。母に付き添われて3畳一間の下宿を見つけました。
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高校時代における辞書の思い出はありますか。
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今思うと辞書は好きなほうだったのだと思うんですよ。地元にはちゃんとした本屋がなくて、近くで一番大きな都市、宇和島まで−昔はバスで2時間くらいかかったんじゃないかな−参考書や辞書を買い出しに行っていました。『カレッジクラウン英和辞典』(1964)を買って来た記憶があります。なぜこの辞書を買おうと思ったのかは覚えていないのですが…。
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東京外大における学びについて教えてください。
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特に衝撃的だったのは、1年生必修の半田一郎先生の授業でした。毎回のように小テスト。たとえば、タイプライターのキーボードの絵があって一部のキーが空白になっていて、その空白にどのキーが入るのかを解答するようなテストがありました。タイプライターなんて田舎では見たことも触ったこともないわけです。タイプライターをはやく使えるようになりなさい、という「親心」であったと思いたいです。さっそくタイプライターと教本を買ってきて練習しましたね。これに関しては、後になって大学に行ってよかったな、と思ったことの1つです(笑)。ほかにもいろいろな小テストがありましたが、どれもその後英語を学ぶ上で役立つ要素が詰まっていた、と後々気づきました。
志村正雄先生の米文学の授業では、なかなか際どい内容の本を読んだのでスラングもたくさん出てきました。そこでスラングって面白いな、という言語学的な興味を持つきっかけになりました。辞書がらみで言うと、志村先生の試験がすごく新鮮でした。試験で辞書の持ち込みが可だったんです。試験で辞書を使っていいのか。へぇ〜、これもありか、と思ってね。志村先生の影響を受けて、私自身も英語の教師になってからは、基本的には試験で辞書の使用を可としました。辞書を引けるのも実力のうちだ、と。もちろん、辞書を引いたら一発で答えられるような問題は出せなくなりますが。外語大では、非常勤講師として、スペイン語、イタリア語専攻の英語もできる学生たちを教えていましたが、その時も辞書持ち込み可としていました。30年以上ほぼその形式で試験をしてきました。
また、2年生の時かと思うのですが、河野一郎先生の授業で、最初に、これから同時通訳になろうと思っても無理ですよ。そういう力はつきませんよ、と言われたことをはっきりと覚えています。それなりに英語ができるようになりたいと思っていたので、いきなりそう言われて驚きました。でも、基本的には英語は読めてなんぼでしょ、行き着くところはそこだろうと。4技能すべて身につけたいというのは常にあったけれども、とにかく読めるようになりたい、という気持ちが強かったです。他の言語についてもそうなのですが、音声面の学習にはあまり熱は入りませんでした。竹林滋先生の音声学の授業などはすごく面白かったんですけれども。
千野栄一先生の「言語学」の授業では、ある回で辞書の話が出ました。先生の「これから辞書を作るとして、何から始めますか。」という質問に、誰かが「他の辞書から切り貼りをして作る。」というような答えをしたんですよ。冗談だったかもしれないけれど、その時に、さすがにそれはないだろう、それは辞書作りとは違うだろう、と思った記憶があります。その頃はまだ自分が辞書を作る側になるとは思っていなかったのですが。
大学に入学して最初は高校生の時ほど真面目に勉強に取り組んでいなかったので、英語専攻でありながら、このままでは英語ができるようにならないと危機感を覚えてESSに入ったりもしました。英語力よりも、人間関係を広めるのにとても役立ちました。学生の頃は、辞書が好きだ、という強い自覚はなかったのですが、大学4年の時かな、OALD第3版(1974)開拓社版のハードカバーを1年間ずっと持ち歩いていました。現行版よりはずっと小さいですが、持って歩いてた、ってことは折につけて使っていたんだと思います(笑)。『旺文社英和中辞典』(コンプリヘンシブ英和辞典)(1975)もよく使っていました。
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東信行先生との出会いはいつになりますか。
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2年生の時に、東先生が茨城大学から移ってこられました。東先生の英語史の授業を受けていて、英語の歴史的側面に興味がわき、先生のお人柄にも惹かれて、卒論も東先生にご指導をお願いしました。
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大学院へ進学するのは流れとして当たり前のような感じだったのですか。
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当たり前ではなかったかな。でも、就職も考えていなかったかな(笑)。当時の外大は修士課程しかなかったのですが、勉強を続けようかな、と思った時に、指導教官として東先生がいらしたし、土肥一夫先生をはじめとして色んな方と親しくなっていました。余談ですが、土肥先生とはちょうど1年違うんです。同じ誕生日なので「本当に」1年違いなんです(笑)。
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先生は、オランダ語の辞書も作っていらっしゃいますが、オランダ語はいつ勉強されていたのでしょうか。
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英語以外の外国語というと、大学院で、北欧語を色々と勉強しました。都立大学の秦(じん)宏一先生が非常勤でいらしていて、最初、先生の著書を使ってデンマーク語を勉強しました。その授業がとにかく面白かったんです。授業中ずっと先生が何を言っているのかよくわからないんだけれども(笑)、面白さだけは伝わってくるのね。試験だけはなんとかがんばって対応して。なんだろう、そういうことってあるんだね。教師は好きなことをしゃべって、学生はそれが理解できなくても興味をかき立てられるような、授業の1つの理想型かもね。翌年にはその流れでスウェーデン語を勉強しました。英語史を学べば、英語と北欧言語とのつながりはわかるんだけれども、そういったことを意識したわけでもなかったんです。純粋に面白くて勉強していました。
オランダ語は、大学院を出てからですね。親しくなったイタリア語専攻の人が翻訳会社をやっていたんですね。その人がオランダ語もやっていて、ちょうどオランダから友人が来日するからいっしょにオランダ語をやらないか、と誘われて始めました。ほんの短期間だったので、あとは半分独学のような感じで勉強して、ときどきオランダ語の翻訳をまかされることもありました。『講談社オランダ語辞典』(1994)は、キャノン・ヨーロッパが確か20周年の記念事業の一環として講談社から辞書を出そう、というプロジェクトでした。キャノンがスポンサーとしてついていて、お金があったからできたんでしょうね。著者としてキャノン・ヨーロッパの名前も挙がっていることがあるのはそのためです。元本として蘭英辞典が存在したので、ゼロから作ったわけではありませんでしたが、それまでの英和辞典での経験は大いに役立ちました。この辞書は出て30年近くになりますが、改訂されないまま現役というのも、辞書としていいのか悪いのか、少し複雑な気持ちになります。
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-1
『講談社オランダ語辞典』(1994)
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000148864
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先生は、ゲルマン語全般(!)を勉強されたわけですね。ラテン語・ギリシャ語も勉強されたのでしょうね。
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大学院では、古典語としてラテン語、ギリシャ語、そしてサンスクリットの授業を取りました。授業は取っても、達成度には差があり、ラテン語は、文字的にもなじみがあって、めちゃくちゃ面白かったです。ギリシャ語は途中で受講をやめました。サンスクリットに至っては、テキストは「明るいサンスクリット」だか「楽しいサンスクリット」だかというタイトルだったと記憶していますが、全然明るくも楽しくもなく、結局文字体系の壁を乗り越えることができないまま終わりました。
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02.-
『ライトハウス英和辞典』他の執筆
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最初の辞書のお仕事である『ライトハウス英和辞典』初版にはいかにして携わることになったのでしょうか。
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うろ覚えで申し訳ないのですが、東先生に声をかけていただいたのだと思います。外大では、教え子が辞書の仕事に巻き込まれていくケースが多かったと思います。辞書に興味を持つような人が集まっているので、別にみんな辞書の仕事が苦ではないわけです。小学館の『プログレッシブ英和中辞典』の初版(1980)が出たときは、『すごい辞書が出た!』と仲間内で話題にしたりというような雰囲気はありました。きっかけは先生に声をかけていただいたことであっても、断れなくてとか、そういうことではありませんでした。岩崎研究会にもすでに入っていたので、その繋がりもあったと思います。執筆要項に従って執筆をして、締め切りに遅れながらも(笑)出来上がった原稿を郵便局に持っていった、そこの記憶は鮮明に残っています。ライトハウスの執筆は初版から第3版まで行いました。
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その間、『リーダーズ・プラス』(1994)や『研究社=ロングマン句動詞英和辞典』(1994)など、辞書のお仕事を継続されていますね。
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辞書の仕事を辞めたいと思ったことはなかったですね。『リーダーズ・プラス』では、クラシック音楽関係の人名や作品に関する見出し語の選定や項目の執筆をしました。『研究社=ロングマン句動詞英和辞典』は、Longman Dictionary of Phrasal Verbs (1983) を翻訳するだけではなく、日本人使用者にとってより役立つようになっています。やはり学習英和辞典とは異なる執筆経験でした。
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03.-
『グランドセンチュリー英和辞典』の編纂
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『ライトハウス英和辞典』のお仕事は第3版までで、その後、三省堂の『グランドセンチュリー英和辞典』に第2版(2005)から携わっていらっしゃいますが、どのような経緯があったのでしょうか。
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自分のことなのにはっきりとは覚えていませんが、当時『ライトハウス』の仕事からは離れていました。いわば戦力外状態のところへ『グランドセンチュリー』を手伝ってくれないかというお誘いがあったと思います。竹林先生などは『グランドセンチュリー』へのトレードとか移籍という風な受け止め方をされていたようです。(編集主幹である)宮井捷二先生は、信州大学から東京外大に移ってこられたのですが、私は外大で非常勤をしていました。宮井先生の研究室で、牧野武彦先生(中央大学)も一緒にお酒を飲んだりしていました(笑)。
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『グランドセンチュリー英和辞典』第2版からのお仕事について教えてください。
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執筆者の数は『ライトハウス』の方が多かったので、『グランドセンチュリー』では仕事量が増えた感じです。第3版からは、前版からの記述の修正・加筆、特に基本語の見直し・執筆などという仕事は変わりませんでしたが、執筆者から編集委員扱いになりました。寺本衛さんと編者である宮井先生とDavenport先生を中心とした編集会議では、編集方針の確認、文型表示の仕方の見直し、新規収録予定語の執筆の分担決定など、発音については牧野武彦先生が中心となって方針を決めていました。見出し語の直後にある語源の記述は私が担当しました。編集委員として原稿をチェックする仕事は性に合っていると思います。
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語源の記述は、学生時代に数多くのヨーロッパ言語を勉強したことが土台になっているのでしょうね。
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土台と言うよりは、英語史や北欧語その他のゲルマン系言語やラテン語への興味と知識が後押しをしてくれた、という感じでしょうか。語源辞典をはじめ各種資料を参考にして初めて執筆が可能でした。
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04.-
岩崎研究会と辞書学ML
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先生は英語の辞書については、岩崎研究会で多くを学ばれたと言ってもいいでしょうか。
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岩崎研究会にいつ入会したのかは正確には覚えていないのですが、大学院生になって入会したのだと思います。昔は特に辞書学関係の例会には真面目に出席していました。さまざまな英語の専門書や論文を読むことになるので、とても勉強になりました。例会の後には必ず飲み会があって、例会の続きのような感じでした。それが楽しみで行っていたかどうかは秘密です(笑)。最近は、段々そういうつながりがなくなって、コロナ禍もあって、何が伝統かはわからないけれども、伝統がどこまで続くのか。夏の旅行も毎年行っていましたけれども、そうした慣例を再開するのももう難しいと思います。今年、久しぶりに忘年会が開催されるのは明るいニュースですね。
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Lexicon に発表されている辞書分析論文にも数多く携わっていらっしゃいますよね。
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Cobuild English Language Dictionary (1987) の分析が最初に携わったものです。隔世の感がありますが、当時は「2千万語!」というコーパスの大きさに感動していました。分析も好きで始めたかはわからず、続けていくうちに面白くなりました。研究業績ももちろん必要だったので、趣味と実益を兼ねている感じになりますね。大学の紀要にも、派生的な論文や Lexicon では取り上げていない辞書、たとえば Encarta World English Dictionary (米英豪でそれぞれ異なる出版社から同時出版)などについていくつか書きました。
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先生は、井上永幸先生が運営されていた辞書学ML(1998年開始)にも積極的にご参加されていましたよね。
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そのメーリングリストには途中から参加したのですが、すごく熱気がありました。辞書や語法好き、コーパスなどに関心のある人たちの間でとても活発なやり取りがなされていました。私も投稿していましたが、したたかな論客もいて、時折かきまわす、と言うか、白熱した議論を巻き起こしたりして、本当に面白かったです。新しい辞書の紹介や辞書関連の動向をいち早く伝えてくれる方も多くいて、とても有益なフォーラムになっていたのは確かです。今は「辞書学メーリングリスト」で検索すると、一部ではありますがログのアーカイブを見ることができます。
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05.-
辞書執筆者に必要な資質
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辞書執筆者に必要な資質とは、どのようなものであるとお考えですか。
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英語辞書に限って言いますが、英語が好きということ。そして、辞書が好きということ。辞書を使うのが好き、買うのが好き、集めるのが好き、辞書についての本を読むのが好き、というのも入るでしょうか。そして、大雑把な言い方になりますが、やはり英語ができること。あとは、調べ物を苦としないとか。
執筆者の資質とは異なるかもしれませんが、目の前の記述を批判的に見て「これは違うのではないか」と気づける力も大事です。たとえば、OALD の intoxicated の用例(語義1)が7版、8版、9版と変わらず “He was arrested for DWI (= drinking while intoxicated).” となっていたのですが、これを見て「おかしい。」と思えるか。括弧内は単なる説明なので用例の一部ではありません。オンライン版で音声を聞くとわかるのですが、DWI はアクロニムとして発音されていて、intoxicated とは読まれていません。10版では修正されていました。十数年気づかれなかったことになります。校正者の目を持ちたいですよね。
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06.-
英和辞典の今後
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現在、紙の辞書を改訂、出版することが非常に厳しくなっていますが、英和辞典の今後についてはどのようにご覧になっていますか。
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紙の辞書は、絶滅危惧種と言ってもいいくらいの状況にありますよね。商品だから売れないとダメですし。英国でもずいぶん前に紙の辞書は出さないと決めたところもありますから、日本だけの問題ではないですよね。これまでの辞書のあり方だと、紙の辞書が出なければなかなか成り立ちません。『ライトハウス英和辞典』第7版のまえがきで、編集主幹の赤須先生も「紙の辞書を使う意義」を説いていますね。『英語と日本人』からの次の引用を見てください:
たとえば、紙の辞書で英語単語を調べると、脳の思考中枢である前頭前野が活性化するため定着しやすく、思考力の形成に寄与する。だがデジタル辞書だと前頭前野の活動がマイナスになるため、わかった気になるが定着しにくい。ディスプレイ上の文字に対する人間の認知能力は、紙に書かれた文字よりもずっと落ちるのである。(p. 278)
OECDの調査によれば、デジタル端末は情報収集や知識の浅い理解には有効だが、深い思考や探究的な学びを妨げ、長時間使うほど学力は低下する。そのためコンピュータを教師役にしてはならず、探究と協同的な学びのための文房具として限定的に使う必要がある。(p. 279)
断然紙派の私としてはうなずける点が多く、紙の辞書がなくなってデジタルだけでいいのか、というのは考えますが、何らかの意識革命が起こらなければ、紙の辞書が再度見直される、ということにはならないように思います。
ただ、形態はどうであっても辞書、そして辞書を作る人は必要です。AIが取って替われるでしょうか。今日(=2023年12月6日)の朝日新聞朝刊に、メタのAI研究部門トップの「今のAI技術レベルは飛行機開発の歴史で言うと、ジェット機以前のレベルで、ジェット機の時代に向けて開発を進めていかないといけない」という談話が紹介されています。ジェット機レベルになったAIでも辞書は作れないように思いますが、AIを辞書作りに援用する、というのは今でもありそうですね。それから、AI関連でいくと、勉強不足でまだよくわからないのですが、対話型AIは、辞書使用(辞書的情報の検索)はもとより、辞書作りの点で変革をもたらすでしょうか。興味深いところではありますね。
紙の辞書が生き残るためには、『ライトハウス英和辞典』第7版のように、紙とデジタルの抱き合わせのような方向に進んでいくのかと思いますが、さきほど例に出したオランダ語辞典のようにならないことを願います。需要がそれなりにあるから生き残っているとはいえ、辞書作りに携わってきた身としては、少し情緒的な言い方をすれば、30年も改訂されない辞書は、かわいそうですからね。
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先生は、何の制約もないとしたら、作りたい辞書がありますか。
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時間的な制約は常につきまとうでしょうが、辞書の大小を問わず、自分の辞書を作りたい、という思いは皆さんある程度お持ちなのではないでしょうか。私の場合、20年近く前から構想だけはあるのですけど、高校くらいまでに出てくる教科基本語を集めた和英と英和が一体になっている辞書を作りたいとずっと思っています。文・理を問わず各科目で習うことを英和・和英で確認できるような、自分用でもいいんだけれども、英語「学習」辞典があるといいな、と。たとえば、Macmillan School Dictionary (2004) では wave の項目に挿絵があって、音や光の波の一番高いところを crest といい、一番低いところを trough ということが一目でわかります。でも、普通の辞書で crest や trough を調べても、物理としての「(波の)山」「(波の)谷」であるという情報はなかなか得られません。ついでに trough つながりで「(気圧の)谷」や「南海トラフ」の「トラフ」に関連させることもありでしょう。また、生物用語の「脱皮」に対応する普通の英語が “molting” であることがすぐにわかる和英・英和辞典はないのではないでしょうか。さらに最後にもう1点加えると、これは学習辞典からは外れますが、osteoarthritisに「骨関節炎」の訳語しか載せていない英和辞典があります。“osteo-(骨)+ arthritis(関節炎)” なのでそれでもよさそうなのですが、「変形性関節症」という定訳があるので、そちらはぜひ載せてほしいなとか。だんだん質問の趣旨から離れてきたようですね。各語の詳しい説明抜きで、必要ならコロケーション情報も加えて、教科基本語を押さえた英和・和英両方向の学習辞典があるといいな、と考えています。紙の辞書もいいですが、電子版の方が向いているかもしれませんね。
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07.-
インタビューを終えて